作品紹介解説 「鎮魂詩シリーズ」と「憂鬱シリーズ」
題名は少々暗いですが、内容が暗いわけではなく、私にしてはドライな記事です。どちらも私がライフワークにしている連作。「鎮魂詩」は20代に作り始めたシリーズ。「鎮魂詩」という題名は、高校時代から好きだったモーツアルトのレクイエムと師匠石桁眞禮生の作品「鎮魂詞」からのヒントです。
鎮魂詩は多くの場合「鎮魂歌」という名で呼ばれる、死者の霊を慰めるための歌。ことさら死を意識していたわけではないのですが、死という現象でこの世からいなくなることが、心に常にあったことは事実です。原因は二つ。一つは、かつて自殺を考えたことが2度あったため。しませんでしたが(笑)
もう一つは、なんとなく「死」という言葉の響きが好きだから(笑)(恐)。「死」という字を使った、語句の響きが好き。死海、死角、死神、死線etc.・・ 必死、決死、九死、仮死、壊死、etc. etc. ただ曲の題名としては少々印象がきつすぎる。そこで「鎮魂詩」。師匠の「鎮魂詞」と一字違い(笑)。
始めは、過去の自分と訣別したい思い(こう書くとカッコ良すぎ。要するに、ただ嫌なことから逃げ出したいだけ)を音楽にしたくて、過去の自分への「鎮魂詩」すなわち「レクイエム」と題した女性合唱曲を書いた。このシリーズの曲に副題はなく、ローマ数字のⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳだけで区別します。
合唱曲が多いです。作詞も自分でしました。Ⅰは確かに、過去の自分へのレクイエム(うわあっ! 実際に書いてみると、超恥ずかしい表現っ!)だったのですが、Ⅱ以降は、近しい誰かの死に直面することが、作詞作曲の理由になりました。Ⅱは、我が家の愛犬「チョビ」の昇天へのレクイエム。
その後もいくつか「鎮魂詩」を作りました。いつか(それまで私が生きていたらですが)「鎮魂詩」と「憂鬱」二つのシリーズの曲だけで、特集CDを作りたいです。うわああっ! 真っ暗なCDになりそう(笑)。あ、私の年齢、知ってますよね? まあ、死んでいてもおかしくないような歳です(本当)
「憂鬱」シリーズは「鎮魂詩」に比べ、はるかに新しいシリーズです。普段の自分の気分を、素直に投影しただけの音楽です。「鎮魂詩」に比べると、肩から力が抜けて、自然で柔らかな心地が表現されています。「憂鬱」が、自然で柔らか?? そうなんです、ただ単に、常に憂鬱なだけなんです(笑)
最初の「憂鬱」は、「憂鬱のざわめき」ピアノ独奏曲です。2ndアルバムに収録する予定です。「鎮魂詩シリーズ」が、殆ど歌だったのに対し、「憂鬱シリーズ」は全て器楽曲です。いわゆるインスト。意図したわけではありませんが「憂鬱な気分」を表現する歌詞なんて、いくら私でも書けません(笑)
その後は、「憂鬱の化石」とか「凍てついた憂鬱」とか「憂鬱の金属」とか「水浸しの憂鬱」とか書きました。最も新しいのが、「干からびた憂鬱」と「憂鬱のアダージョ」です。この新しい2曲がフルアルバム「天照」に収録です。「干からびた憂鬱」は、このnoteですでに全曲版をご紹介しました。
というわけで、次に「憂鬱のアダージョ」をご紹介させてください。収録されているフルアルバム「天照」の内容は、私のnoteでの初期の記事、確か4つ目の記事だと思いますが、「時は流れて現在の私 2」に、全曲の曲名と編成を掲載してありますので、ご参照いただければと思います。
それでは次の記事で、「憂鬱のアダージョ」(圧縮して短縮したバージョンですが)(ちなみに非圧縮、高音質、フルバージョンは、6月25日、配信販売開始の予定です)の音源をご紹介します。私の大好きな、弦楽オーケストラという編成です。