時は流れて現在の私 16
愛媛県松山市にいました。小学校4年の12月24日から小学校6年の12月24日まで、ちょうど2年間でした。そして、小学校6年の12月24日の晩は、憧れていたホテル奥道後に泊まり、翌朝、松山市を後にして、熊本県熊本市に移り住んだのでした。
旅程の一部を覚えています。松山市から福岡まで飛行機で移動し、そこから熊本まではクルマでした。日産グロリア。ああ、日産グロリアです。愛媛県在住時から自動車の大好きだった私は、このグロリアで熊本までの長距離を移動することに興奮しました。日産グロリア、カッコいいんです!
一つ残念なのは、この記事にも、日産グロリアではなく、プリンスグロリアと書きたかったことです。戦後すぐ、飛行機メーカーの技術者たちによって立ち上がったプリンス自動車、素晴らしいメーカーだったと思います。なんせ私の大好きな車が二つもありました。その一つがグロリアだったのです。
もう一つはスカイラインスポーツ。いやあ、この車も超絶カッコイイクルマでした!雑誌に写真を見つけた時、それはもう大興奮!まるでアメリカ製のオープンスポーツのようで本当にこれが国産車なのだろうかと疑いました!グロリアも素晴らしかったです。あの縦に並んだ丸形2連ヘッドランプ!
あのヘッドランプ配置は、グロリア以外、見たことがありません。そのグロリアに乗れるのです。嬉しかった。しかしそのグロリアでのツーリングも、長時間のクルマ移動に慣れていない私には、少々車酔いで苦しかったです。でも本当に、グロリアは嬉しかったです。
そして熊本に着きました。松山市と同じ城下町です。この二つの町、お城があるので少し松山市の松山城の事を思い出してしまいました。松山城、綺麗でした。小学生当時から私は、きっとどこか変な子供で、日曜日に画板を抱えて、松山城の天守閣下に行き、松山城の水彩画を描いたことがあります。
絵も好きだったんです。熊本では熊本城を描いたことはありませんでしたが、お城は見に行きました。大きなお城です。カッコいいです。今、熊本は地震などの災害で大変なことになっていて心配です。あまり遠くない将来、松山と熊本には行って、幼少期の思い出に浸りたいです。
愛犬チョビも松山から熊本に連れてきました。チョビは飛行機に乗る直前、動物用のケージに入れられ、荷物室に入ることになりました。それがチョビに大きな不安を与えました。可哀そうだったです。あの時のチョビの不安そうな表情は忘れられません。
飛行機から降りてチョビと再会すると、ようやくチョビは安心したようで、安堵の表情を浮かべました。そしてグロリアに乗って熊本に着いたのです。住居は、熊本の中心街からは少々離れた、路面電車の終点がある町でした。終着駅の名は「健軍(けんぐん)」と言いました。
小学校6年でした。小学校の最後の3学期からの転校でした。熊本市立若葉小学校。3学期だけの小学校生活。たとえ在籍期間は短くとも、私はここを卒業したので、卒業アルバムにはちゃんと写っています。ほんの3か月弱の生活でしたが、なかなか印象的な3学期でした。
若葉小学校での生活は、松山市の湯築小学校のような、教師による強圧的な教育ではなく、平和に暮らせた感じがします。いやな思い出はありません。そしてつつがなく卒業し、春休みに突入したのです。ところがこの春休みに、私は楽しめませんでした。
生まれて初めて入院しました。手術のためです。病名は「扁桃腺肥大症」。実は小学校の初期から、私は度々熱を出して学校を休んでいました。風邪だと思っていたのですが、そうではありませんでした。扁桃腺は通常、小指の第一関節から先くらいの大きさらしいのですが、私の場合は、
親指の第一関節から先くらいの大きさでした。体積にして通常の、3~4倍くらいでしょうか。これが「扁桃腺肥大症」とらしいです。らしいですとか他人事のようですが、だって自分では見たことないんです。鏡を覗いたって見えるような位置には付いてないし。
では何故「親指の第一関節から先くらいの大きさ」と知っていたかというと、手術で切除した後、お医者さんが私にそれを見せてくれたからです。あまり気持ちのよいものではありませんでしたが、でもそれは紛れもなく自分の一部でした。これがいつも腫れていて、発熱を起こしていたのでした。
切除手術はなかなか恐ろしいものでした。小学校以前の小さな子だと、暴れると困るので、全身麻酔をしてもらえるのですが、小学校を卒業した私は、全身麻酔をしてもらえず、局部麻酔でした。これが怖いんですこれが!!!まず手術用の椅子に座らされます。この時点でもう恐怖満載です。そして、
先生が注射器の針を、私の口の中に入れるのです。扁桃腺は喉の奥にありますから、のどの奥まで十分に届くような、超長い針の注射器です。それが、ずずいとのどの奥に入っていくのです。うわあああああ!!!!と叫びたくなりましたが、椅子に固定された上、口を大きく開けられているので、
何もできません。恐怖に耐えつつ針先がのどの奥に到達するのを待ちます。そして、ズブリ、ズブリ、ズブリ、と何度も何度も、先生は針をのどの奥に突き立てていくのです。あああああ!!!僕どうなっちゃうんだろう!!!とか考えるのですが、どうもできません。されるがままです。
注射針は一撃一撃、痛かったのですが、痛みが徐々にマヒしていきました。そして、先生が今度は針で、のどの奥をツンツンつつくんです。私は、何かで触られたような感じはありましたが、痛みはありません。先生は「よし」とか言って、今度は針をメスに持ち替えました。
このメスも、医療ドラマに出てくるような普通のメスではありません。普通のメスでは、喉の奥まで届かないからです。やたら長いメスだったような気がします。そのメスをのどの奥に差し入れて、ゴリッ、ゴリッ、ゴリッ、とやり始めました。扁桃腺を切断しているのです。うわあああ!!
そして切断が完了すると、今度は先生は、針を挟んだピンセットを持ち出して、傷口を縫ってゆくのでした。縫うのは、見えたわけではありませんが、なんか、一刺し糸を通しては、結び目を作ってそれをハサミで切り、それを何度か繰り返すのです。ようやく一つ目の切断と縫合が完了しました。
私は疲労困憊でした。恐かったんです。しかし手術はまだ半分です。扁桃腺は、左右に二つ付いているからです。もう一つも摘出が終わりました。恐怖なのは、手術中、ずっと意識があって、痛みはないものの、ゴリッとかいう肉をえぐられる感覚はあるからです。
とうとう手術は終わりました。そして先生は私に、摘出した扁桃腺を見せてくれました。ああ、何かが自分の体からなくなってしまったのです。そして、確かにその後、不思議な発熱は起こらなくなりました。手術の後の入院生活と、その後の事は、次の記事に譲り、
今日はここまでにしたいと思います。手術中のことなど、気持ち悪かったかもしれません、すみません。読んでくださった方、本当にありがとうございました。次の記事も、どうかお楽しみに。