50年前の1972年4月27日・28日、自衛隊の「沖縄派兵」等中止を求めて現役自衛官が決起した!
写真・新聞記事で観る自衛隊の沖縄派兵反対の記録
[「防人」の肖像 自衛隊沖縄移駐50年]第1部 対峙 反戦自衛官(上)
「長官に会わせて」「無理だ」 自衛官5人が直訴 防衛庁を慌てさせた前代未聞の“事件”(2021年1月11日沖縄タイムスから)
写真 防衛庁の正門で長官に沖縄移駐の中止を直訴した現役自衛官5人。中心に与那嶺均さん(左から3人目)がいた=1972年4月27日、東京都・六本木
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沖縄の日本復帰が翌月に迫る1972年4月27日、東京・六本木にあった防衛庁(当時)の正門前に突如、報道陣を引き連れた制服姿の自衛官5人が現れた。騒然とする現場でカメラのフラッシュを浴びる5人の中に唯一、沖縄出身で当時20歳の1等陸士、与那嶺均さん(69)=今帰仁村出身=がいた。
「沖縄派兵を中止せよ」
読み上げた文書は、防衛庁長官宛て。復帰に伴う自衛隊移駐に鋭く反発していた沖縄と呼応するような直訴だった。
「長官に会わせてほしい」「無理だ」。15分ほど守衛と押し問答した末、「長く居座ると拘束されかねない」と引き揚げた。自衛隊の在り方に疑義を唱える匿名のビラが隊内でまかれたことはあっても、5人もの現役隊員が素性を明らかにし、公然と批判の声を上げたことはない。直訴の直前には会見を開き、全国紙などの記者は前代未聞の「事件」に飛び付いた。
防衛庁の職員は慌てた。本当に自衛官か。急いで5人の顔写真を撮った。読み上げ文の署名と照らし合わせて所属部隊を確かめ、すぐ戻れと命じた。が、本人たちには届かなかった。「隊に顔を見せればリンチを受けるかもしれない」と恐れ、あらかじめ休暇届を出した上で身を隠していたからだ。
警視庁も加わった捜索網をかいくぐり、再び現れたのは翌28日。日本が主権を取り戻したサンフランシスコ講和条約発効の記念日であり、沖縄にとっては米軍施政下に取り残されることが決まった「屈辱の日」に、東京タワー横の芝公園に約8千人が集まった沖縄反戦集会だった。
与那嶺さんも壇上に立った。「私は沖縄で、住民に銃を向けたくない」。沖縄戦中、壕に逃げ込んだ住民を追い出した旧日本軍と、自衛隊を重ね合わせて訴えた。語り終えると、賛同の拍手と歓声がうねりのように広がった。高揚感はなかった。むしろ憤っていた。「欲しかったのは賛意ではない。移駐阻止の実現だった」。移駐部隊には、故郷の対立感情をそらすために地元出身者が選ばれていた。反対するにしても、沖縄の人間が矢面に立たされる構図は同じだった。
◇ ◇
数日後、身を潜めていた都内で自分たちが懲戒免職になったと新聞を読んで知った。“政治的中立”を守る規律に反した-という理由だった。入隊後の約1年間、同僚と、時に沖縄出身の隊員とウチナーグチで語り合った沖縄移駐反対論を許さない「見せしめだった」と思っている。(「防人」の肖像取材班・銘苅一哲)
続いて、同日・翌日の沖縄タイムスの連載
現職自衛官らの「10項目要求」とは!
防衛庁(当時)前で読み上げられ、現役自衛官たちが要求したのは、自衛隊の沖縄派兵ー立川治安移駐反対、自衛官の人権を求める10項目の要求だった。
自衛官らは、防衛庁近くで記者会見、防衛庁正門で、多数の自衛官らの監視の中、沖縄派兵反対・自衛官の人権要求等の10項目の要求を読み上げる
●要求書 われわれは、戦争に反対する人間としての良心と人格にかけて、勇気を持ってこの要求書を防衛庁長官に提出するものである。
わが自衛隊は、従来から四次防、沖縄派兵あるいは立川強行移駐などの問題について、国民各層からの鋭い糾弾を受けてきた。特に、戦後二十数年の長きにわたって軍事監獄の中に閉じ込められ、屈従と圧迫を強いられてきた沖縄百万の労働者・農民は、老若男女問わず一人一人が自衛隊の沖縄派兵に怒りのこぶしをふりあげている。
われわれは、こうした事実を直視し、かつまた沖縄出身隊員砂辺2士の自殺などに衝撃を受け、一体、われわれが、いかなる態度をとるべきか、真剣に考え込まざるを得なかった。
しかるに、先般来、わが自衛隊がとった行動はなんであるのか。秘密裡に物資を沖縄に搬入するなど、あらゆる形をとって、沖縄民衆への圧迫を強いているのではないのか。
われわれは、沖縄派兵、釣魚台(「尖閣列島」)略奪のせん兵となることを自らの良心にかけて拒否する。
見よ。自衛隊の侵略軍隊への強化は、われわれにあらゆる屈従を強制しようとしているのではないか。
入隊以来、われわれは、あらゆる隊内の非民主的教育、生活・訓練に耐えてきた。だが、このような事態の中で、われわれは、もはや黙っていることはできない。
われわれは、われわれの労働者・市民としての権利を断乎として要求する。そして、なによりも沖縄派兵を直ちに中止することを要求する。
●要求項目
一、われわれは、侵略のせん兵とならない。沖縄派兵を即時中止せよ。
二、われわれは、労働者、農民に銃を向けない。立川基地への治安配備を直ちにやめよ。
三、われわれに、生活、訓練、勤務の条件の決定に参加する権利、団結権を認めよ。
四、われわれに、集会、出版の自由など、あらゆる表現の自由を認めよ。
五、われわれは、不当な命令には従わない。命令拒否権を確定せよ。
六、幹部、曹、士の一切の差別をなくせ。
七、勤務時間以外のあらゆる拘束を廃止せよ。
八、私物点検、上官による貯金の管理などの一切の人権侵害をやめよ。
九、小西三曹の懲戒免職を取り消し、直ちに原隊に復帰させよ。
十、われわれは、自衛官であると同時に労働者、市民である。労働者、市民としてのすべての権利を要求する。
一九七二年四月二七日
陸上自衛隊第三二普通科連隊第一中隊(市ヶ谷駐屯地一等陸士 与那嶺均
陸上自衛隊第四五普通科連隊第一中隊(京都大久保駐屯地)一等陸士 福井 茂之
陸上自衛隊富士学校偵察教導隊(富士駐屯地) 一等陸士 内藤克久
陸上自衛隊第二特科群第一一〇特科大隊本部中隊(仙台駐屯地)一等陸士 河鰭定男
航空自衛隊第二高射群第五高射隊射統小隊(芦屋基地)一等空士 小多基実夫
航空自衛隊第四六警戒群通信電子隊(佐渡基地) 三等空曹 小西 誠 (行政不服申し立て係争中)
防衛庁長官 江崎真澄殿
「沖縄返還協定粉砕――自衛隊沖縄派兵反対」の全国集会に合流(東京・芝公園)
そして、前日の防衛庁前の行動に続き、制服自衛官たちは、「沖縄返還協定粉砕――自衛隊の沖縄派兵反対」を訴える、4/28東京・芝公園の労働者・学生・市民集会に合流した。
6人の自衛官たちは、結集した民衆から歓呼の声をもって迎えられた。
この全国から決起した制服自衛官のたたかいに、自衛隊のみならず政府も驚愕し、自衛隊の警務隊による逮捕を企てたが、労働者市民の闘いに守られ頓挫した。国会では、佐藤首相が責任を追及をされた。
国会で野党から追及される佐藤首相(当時)
決起自衛官らは、沖縄「返還」直後の6月、沖縄の民衆に合流、各地で派兵反対の共同闘争へ
決起した自衛官らは、同年5月、全員が懲戒免職処分に付された。しかし、それにもめげず、自衛官たちは、当初の目的を果たすべく、「返還」直後の沖縄に飛び、沖縄派兵反対で広がった沖縄民衆と合流、「自衛隊沖縄派兵反対」の運動の先頭に立った!
自衛隊派兵中止を求めて沖縄民衆と合流ー与那嶺1士の故郷・今帰仁村にて住民・高校生達との討論集会(上)、全軍労牧港青年部との交流集会(中)、同・牧港青年部集会で講演する小西 誠(下)
全島に広がる「日本軍=自衛隊の沖縄派兵反対」の声
そして、自衛隊沖縄派兵ー自衛隊の沖縄進駐阻止の行動は、沖縄全島に広がり、5/15返還後、進駐態勢を取り始め、宣撫工作を大々的に開始した自衛隊と各地で対峙した。決起した反戦自衛官たちは、沖縄島、久米島などの島々で沖縄派兵反対の訴えを行った。
72年6月、派兵された陸自に対し、那覇駐屯地の隊員に呼びかける与那嶺1士
返還後の1972年後半、徹底した宣撫工作を行い、沖縄出身の司令官・桑江1佐を先頭に沖縄に上陸した自衛隊の各部隊は、沖縄民衆の派兵反対の大集会、自衛隊基地への抗議デモで迎えられた!
そして、この自衛隊は、沖縄各地域で「沖縄出身隊員の帰郷工作弾劾」「自衛官の住民登録拒否」、「成人式参加拒否」、「自衛官募集業務拒否」などのあらゆる住民による包囲、抵抗闘争で迎えられた。まさしく、旧日本軍の再来・再進駐として自衛隊は、沖縄では捉えられたのだ。
懲戒免職処分に抗議して陸自・市ヶ谷駐屯地に赴く与那嶺1士、左は小西 誠3曹(左)。右は自衛隊沖縄派兵に抗議する、青年労働者・学生・市民集会(1972/5/15、日比谷野外音楽堂)
旧日本軍=自衛隊の本質は変わらない。軍隊は住民を守らない!
そして、あれから50年――自衛隊の沖縄各部隊は、本格的に増強され、旧日本軍の再来としての性格を一段として現しつつある。いまや自衛隊の派兵部隊は、琉球列島全域に亘る、攻撃部隊=ミサイル部隊となって出現し、島々全域の要塞化が謀られつつある。この自衛隊部隊は、在沖米軍とともに、対中戦争態勢を構築しようとしており、この態勢により再び沖縄戦=海洋限定戦争が、凄まじい規模で再現されようとしている。
この琉球列島の要塞化――対中戦争態勢を食い止めるためのたたかいは、沖縄のみならず、「本土」民衆の運命をも決める、重大な段階を迎えている。ウクライナ戦争は遠くの戦争ではない! この戦争と連動しつつ、今われわれの足下で、戦火の足音が激しくうなり始めているのだ。
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現在、日米軍隊による南西諸島全域へのミサイル基地建設造りが急ピッチで進んでいるが、これを報道するメディアがほとんどない。この全容を現地取材…
私は現地取材を重視し、この間、与那国島から石垣島・宮古島・沖縄島・奄美大島・種子島ー南西諸島の島々を駆け巡っています。この現地取材にぜひご協力をお願いします!