●三上智恵監督の新作「戦雲」を観てきた!
新刊の電子ブック兼オンデマンド本『最新データ&情報2024 日米の南西シフト』の製作に追われて、三上さんの新作「戦雲」の試写会の最後の日に、ようやく駆けつけることができた。
三上さんは、足を骨折されているにも拘わらず、この東京最後の試写会に参加されていた。松葉杖をつきながらー!
「戦雲」は、「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」(石垣島)の山里節子さんのナレーションから始まる。節子さんがナレーションを担当されるとは聞いていたが、長年、のどを痛められていることを知っているので少し心配していたが、これは杞憂だった。節子さんの独特の深みのある声で、与那国島や宮古島、そして石垣島の軍事化の状況がたんたんと伝えられていく。
「戦雲」は、与那国島が大きなテーマのようだ。印象に残るのは、一人のカジキマグロの漁師である。マグロと格闘し、ケガを負い、最後はそのマグロを釣り上げて大笑いする漁師! なんだが「老人と海」を思わせる映像だが、もちろん、それでは終わらない。
2016年の与那国基地の開設前後の住民の分裂、自衛隊が進駐してくる状況のなかでの住民の苦闘、そして、今本格的に始まりつつある与那国の要塞化の出来事が描かれていく。
新たに配備が予定されている、地対空ミサイル部隊、新軍港の建設、与那国空港拡張による軍民共有化、等々……。防衛省官僚のいい加減な住民への説明に対し、今まで基地に賛成していた住民までもが猛烈に抗議する。対して、こっそりとこの説明会に出席していた与那国町長の沈黙!
与那国島は、沖縄の中でもトップを争うぐらいの自然の豊かな島だ。だが、この島が全島とも言えるような軍事化の波に、いま吞まれつつある。
映像は、与那国島から石垣島へ、宮古島へ、沖縄島の人々に替わっていく。石垣では、もちろん節子さんが昨年の基地開設に現場で抗議。自衛隊員を前に切々と語りかける節子さん。その訴えには、あの戦争体験者でなくてはできない説得力がある。転勤命令ー動員されて島にやってきた隊員たちも、疑いなくこの訴えは響いたはずだ。この自衛隊員らも、人権を自由を奪われ、「兵営暮らし」を強いられている。
宮古島では、保良ミサイル弾薬庫反対の中心にいる下地夫妻、そして市議選でトップ当選を果たし、今基地反対運動の先頭に立つ下地茜さんらのミサイル弾薬庫前での、およそ3年以上にわたる座り込みのたたかいー。まさに、雨の日も風の日も、弾薬庫正門に座り込み続ける下地夫妻、これこそ、全国の反戦運動が学ぶべき行動だ。
先島諸島から沖縄島、さらに奄美大島・種子島・九州へと続くこの激しい軍事化の波、この事実をどれほどの人々は知っているだろうか。この島々の軍事化を拒み続ける人々の存在を、どれほどの本土の人々は知っているのだろうか。
そして今、「戦雲」が迫っているという事実、そのために島々の「有事避難」準備(九州への棄民)を政府が必死に進めている事実をー。
始まっている事態は、大軍拡一般でもなければ、軍事費増大・2倍化というだけではない。対中国戦争に向かって、急ピッチで戦争マシーンがうなりを上げているのだ。このリアルな「危機の認識」が求められているのである。
あえて辛口の批評を行うとすれば、やはり、奄美大島や種子島についても描いてほしかった。もっとも三上さんも、およそ5時間の映像を切りまくったと聞いているので、そこまで要求は出来ないかもしれない。奄美や種子島(馬毛島)、九州の軍事化を知らせていくのは、私たちの役目だ。
「戦雲」は、3月から全国で公開される。東京はポレポレ東中野で封切りだ(3/16から)。 https://ikusafumu.jp/
(追加 数年前、与那国の港にある食堂で食べた「マグロ定食」新鮮でおいしかったが、最近まで与那国島がカジキマグロの猟場というのは知らなかった。)
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沖縄の盟友の瀬戸隆博さんが、ボクよりも素晴らしい批評を書いているので、こちらも参照してほしい。
戦雲に覆いつくされる前に、我が事として観てほしい -「戦雲(いくさふむ)」試写会
2月21日、3月23日の公開に先立って、三上智恵監督の「戦雲(いくさふむ)」試写会に参加した。
冒頭の霊山於茂登岳、自然豊かな風景を前にしての山里節子さんの歌声に涙があふれてきた。ギシギシと金属がこすれる鈍い音がするミサイル発射台が角度をあげ、今にも発射しようとする画像にぐっと引き付けられ、落涙する。
ここから2時間10分の本編はあっという間で、全く時間を感じさせることなく過ぎていった。与那国編を軸に宮古、石垣、そして沖縄本島で今何が起きようとしているのか、ここに至るまでにどのようなことがあったのか、島々の凄まじい軍事強化をあらためて知ることになる。急速に進んでいる軍事要塞化への反対、抗議の思いを示しながら、そこで暮らしている人々の生きる営み、心象風景が、三上監督の目を通して深く描かれている。
何度も現場に足を運び、人間関係を作り、単なる取材者、製作者としてだけではなく、自らも葛藤しながらも全身全霊で向き合い、一人の人間としてどうすれば戦争を止めることができるのかを考え抜いたことが伝わってきた。
今シェルターだの、避難計画だの、戦争が起きた時にどうするかということに対して意識が向くように仕向けられている。しかし「重要影響事態」など政府が前のめりに事態認定をしていく中で、実際に今の生活を捨てて避難し、そのあとに何が残るのか。今まで作り上げてきた生活の基盤、家族同然の動物たちはどうなるのか。それぞれの考え方、主張の違いはあれ、地域に暮らす人間として、地域で一つとなり守ってきた祭りや行事はどうなるのか。
こうした視点が欠落している政府の避難計画の寒々しさ、人間や自然、文化が全く存在しないかのような国策の虚を衝くように、ハーリー、豊年祭、エイサーなど営々として培ってきた地域の行事を躍動感たっぷりに映し出している。人、自然の息吹、そこに参加する人たちの、祭りを心から楽しんでいる様子や満面の笑顔が描かれており、心を揺さぶられた。
着々と進められてきた南西諸島軍事強化が、ここ数年でさらに勢いをまし、その強行ぶりは止まらない。来月上旬には陸自勝連分屯地へのミサイル搬入が予定され、うるま市石川への陸自演習場計画、空港港湾の軍民共用の名のもとの軍事優先化、離島奪還を目的にした度重なる日米合同演習、弾薬庫建設など、今まさに沖縄を戦雲が覆いつくそうとしている。
しかし、本編には、その戦雲をかき消し、一筋の光明をつかみ、何をしていくべきなのかのヒントがかくされている。山里節子さんの石垣駐屯地ゲートを警備する若い自衛隊員に対し、慈愛の気持ちをもって若い命が奪われないよう、銃を捨てて、平和の道にすすみなさいという訴えは敵意や、憎しみでは全くない、人間として向き合うことの重さと大切さを感じた。楚南有香子さんは島々が戦場になれば、住民の犠牲はもとより、最初に死ぬのは島を守るということを命令され、逃げることを許されない自衛隊員だ、と自衛隊基地へむけて抗議をする。その抗議には「警備隊」の自衛隊員は敵対する対象ではなく、血の通う人間であり、自分達の反対行動はすべての命を守ることにつながるという思想がベースにある。
「戦雲」という敵意、憎しみ、妬み、嫉みなど、争いの種を少なからず誰でも持っていると思う。「脅威」や「恐怖」というぼんやりした感覚で、見えない敵を作り、しまっておくべき争いの種をまいているのではないか。そこにみずからの正義という名の水をやり、武力という肥しをやり、「軍隊が強ければ守れる」「武力を強化すれば抑止できる」「敵をやっつけ、打ち負かせてしまえばいい」という憎悪を芽吹かせ、根付かせていないか。戦雲が私たちの社会を覆いつくした時にはもう遅い。そうならないためにどうすれば穏やかに暮らせるか、考え方の違いを超えてどうやって共存できるか、平和に過ごせるか、知恵を出し、対話を重ねることでしか、戦雲を打ち消すことができないだろう。
本編では余すところなく沖縄を覆う戦雲を打ち消そうと自らの生き方を賭けて、向きあう姿が描かれており、映画を見終わった後、我が事として自分がなにをなすべきかをあらためて自問することになった。決して沖縄だけでなく、戦雲は本土にも迫っていることを映画を通じて全国で共有してほしい。戦雲を打ち消し、「瑞雲」を見出すために沖縄、日本全体で一人でも多くの人がこの映画を他人事としてではなく、我が事として観てほしい。
ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 瀬戸隆博