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●報じられない、自衛隊の唯一の国内ミサイル試射場・新島!――北朝鮮のミサイル発射にアリバイ的に抗議する政府とメディア!

自衛隊のミサイル試射については、一言も報じない! 島の人々以外には誰も知らない、新島ミサイル試射場! 

拙著『ミサイル攻撃基地と化す琉球列島―日米共同作戦下の南西シフト』(第7章から)

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907127282

臥蛇島のミサイル実弾演習場化と新島闘争

 臥蛇島といっても、ほとんど人々は場所さえも知らないだろう。屋久島から南南西に約50キロ、トカラ列島に属する4キロ㎡ほどの小さな島だ。島には1970年までは、人が住んでいたが、多くの過疎の島と同様、それ以後は無人島になった。

 南西シフト下の薩南諸島の演習場化で、この島に目を付けたのが自衛隊である。自衛隊の実弾演習場は全国にあるが、長距離射撃のできる演習場は少ない。特に空爆演習やミサイル実弾射撃となると、グアムやアメリカの演習場にまで毎年出かけているほどだ。

 こうして白羽の矢があたったのが、前記の臥蛇島だ。2018年9月16日付産経新聞によれば、「防衛省が本格的離島奪還作戦を行える初の訓練場を整備する検討に入った」と伝えられ、「実戦に即して訓練できる候補地として臥蛇島」が候補に入ったという。もっとも、述べてきたように、すでに馬毛島・江仁屋離島――薩南諸島の全てが演習場とされてきているから、この演習場は、文字通り「実弾演習場」だ。

 そして、産経報道から2年後の2020年10月下旬、日米共同演習「キーン・ソード」の一環として、陸自水陸機動団と米海兵隊の演習が臥蛇島で行われた。

 「演習では、臥蛇島沖の艦船から海兵隊のオスプレイや自衛隊のヘリが飛び立ち、上空から部隊が島に展開した。海上からもボートで上陸し、島を占領した敵を想定した戦闘訓練を行った。訓練では空砲を使用したという。一連の訓練で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備されているオスプレイ4機が整備などのために海自鹿屋基地を拠点とし、臥蛇島にも複数機が展開した」(11月2日付朝日新聞)

 自衛隊は、長距離射撃の行える実弾演習場を喉から手が出るほど欲しがっているが、臥蛇島とともに、すでにミサイル実射場をとなっているのが、新島である。周知のように、伊豆七島の伊豆大島の南(東京から約150キロ)に位置する新島が、自衛隊の知られざるミサイル射撃場として現在も使われていることを、平和運動を担っている人々さえ聞いたことはないだろう。

新島最南端の試射場

 しかし、この新島ミサイル基地問題は、長沼裁判、百里裁判、小西反軍裁判などともに、自衛隊の違憲訴訟という事件にまで発展したのである。1978年版「防衛白書」によれば――、

 「新島ミサイル試射場入会権訴訟                    1960年に国が村から伊豆七島新島の用地を買収してミサイル試射場を建設したことをめぐり、基地反対派村民が、入会権の存在を主張してその確認と引き渡しを求め提訴した。1978年3月22日、東京高等裁判所は、国に対して山林の一部の引き渡しを命じた一審判決を取り消し、国側を全面勝訴とする逆転判決を言い渡した。                    この中で、国がミサイル試射場の設置など近代的武器を開発・維持することが憲法第9条に違反するか否かについては統治行為に関する判断であり、裁判所が判断すべき性質のものではなく、しかも、合憲、違憲の見解が対立するので、これを一見極めて明白に違憲無効とすることはできない旨を述べている」

 始まりとなった、1957年10月5日付朝日新聞では、「誘導弾試射基地 伊豆の新島に決る地元も承諾 港の拡張が魅力で」と報じられたが、試射場予定地は新島の南端の端端地区で、試射場の危険地域は、試射場を中心に200万坪の土地と、島から南30キロの扇型海上で、年間30発を発射する予定であると伝えられた。

南端の端端地区

 そして、この報道を皮切りに、地元では教職員組合が反対の声を上げ、これに村民の8割の署名で「新島ミサイル試射場設置反対同盟」が結成された。以後闘いは、東京の教職員組合を筆頭に全国に支援が広がり、砂川闘争と並ぶ闘いに発展したのである。そして、1960年1月から始まる防衛庁調査団の来島や、約1カ年の測量調査に対して、反対派は実力闘争を展開した。この年の6月からは、防衛庁建設部隊は、上陸用舟艇を使って島の数カ所に上陸、反対派も各地域で海上封鎖し、大量の逮捕者も出たのである(11人起訴、有罪判決・新島3・17事件)。

 ところが、1959年の村議会選挙や村長選挙で賛成派が多数を占めたことを皮切りに、賛成派の巻き返しもあり、1962年には試射場は完成した。そして、1963年7月8日11時4分、試射場からミサイル第1弾が発射されたが、反対闘争が激しかった式根島の漁師たちは、漁船を繰り出し、「立入禁止水域」を告示されていた海域では、「強行操業を敢行」するという実力闘争に出たが、反対運動は次第に後退していった(式根島では、この過程で女性たちの素晴らしい反対運動が創られたことを記す。以上は『新島村史』新島村発行1996年3月31日を参照)。

海上保安庁第3管区水路通報より

 現在、「防衛省技術本部新島試験場」は、国内唯一のミサイル発射試験場であり、2004年の組織改編により試験場から「航空装備研究所新島支所」となった。試験場は、管理地区と射場地区で構成されている。ミサイルの試射は、今なお行われており、ミサイル発射試験をする際、海面の最大距離約25キロ、高度4000メートルを試験範囲に設定するという(上図は、2017年10月16日~11月4日に告知された発射海域・防衛装備庁)。

防衛省技術本部新島試験場

 しかし、臥蛇島と同様、新島もまた南西シフトが本格化する中、試射だけには留まらないだろう。

 かつて、1969年、当時の在日米軍司令官と防衛庁長官の合意(第10回日米安全保障協議委員会)で、水戸射爆場を新島に移転するという共同コミュニケが発表されたことからも明らかだが、防衛省・自衛隊は、新島を始めとする国内でのミサイル実弾射撃場を虎視眈々と狙っているのである(この時は、新島村議会は全員一致で射爆場設置を拒否)。

『ミサイル攻撃基地化する琉球列島―日米共同作戦下の南西シフト』(第7章から引用)、小西 誠・社会批評社、本体2200円


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小西 誠
私は現地取材を重視し、この間、与那国島から石垣島・宮古島・沖縄島・奄美大島・種子島ー南西諸島の島々を駆け巡っています。この現地取材にぜひご協力をお願いします!