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加速し続ける最先端技術と普及

スマホが、5年も経たないうちに廃盤になっていく。
新機種が現れるたびに操作方法が激変し、
まだ多くの人たちが新しい操作に慣れていないうちに〈スタンダード〉になる。
そのほうが、高度に発展し続ける情報社会を更新し、回していくのに好都合だから。

電車内で、思うように操作できない怒りの矛先をどこに向けていいかわからず、
独り憤怒しているご老人を時々見かけるようになった。
つくづく気の毒だと思う。
核家族化が極端に進んだ結果、
操作方法をフォローしてくれるような身内が近くにいない高齢者が増えたのだろう。
私も、親元を離れて以来、自分の日々の生活のことで手一杯であることを理由に、
両親が困っているはずの精密機器の操作等についてフォローをしなくなって久しい。

困っているのは、本当に高齢者だけだろうか。
ひょっとすると30〜40代の私たちも既に付いて行けていないのではないか。
「ヤングケアラー問題をなんとか解決しよう」
と言う大人自身が、肝心の現実環境を理解しきれていないのでは本末転倒だ。
「解決しよう」として関わる大人が、かえって対象の子どもの負担を増やす結果に
なってしまうからだ。
しかも、そのような負担が生じていることを感じるのは
子どもだけであり、その事実に大人は気付きさえしない。
そういう状況が既に起きていて、急速に進行しているのではないか、と
ふと感じる。

子どもをよく見ている大人は気付いていることだろうけれども、
今や、既に情報リテラシーやネットリテラシーは
大人よりも小学生のほうが高いことが多い。
ネットで匿名で叩かれることには見慣れているから、真に受けない前提で
そうした有象無象の情報に接することに慣れているし、長けている。

中には優しい子どもが、
自分の親を、親が気付かない間にネットから守ってくれているかもしれない。
親のメンツを傷つけないように、それとなく、親の知らないところで。
そんなことも知らずに親は子どもを〈全体的に未熟な人間〉だと決め付け、
一方的な関係を強要してしまっているかもしれない。

私は今、こうしてnote記事を書いているが、
この問題提起や問題意識すら、ひょっとすると彼らにとっては10年前に解決済みのことで、実際には遥かその先を見据えて生きているかもしれない。

・・・もちろん、すべての子どもがそうだ、とは思わない。
あくまでも仮定の話。でも、充分にあり得ることだと思う。

私が大学生だった頃、情報工学を専攻していて、
数理モデルや確率・統計、ロジスティクスや最適化問題などを学んだ。
しかし、実際に会社に入社してみると、
大学で学んだ理論や技術を適用するより遥か以前の、基本的な事柄でさえも杜撰な状況だった。

人は、急激な技術の進歩には付いていけない。
だから私は、当時、学んだばかりの知識や技術を全部活用するのではなく、
その時、会社にいる人たちにとって負荷が増えないように気をつけながら
働いている人たちが気付かないところで数年かけて、
ほぼ、Excelとファイリングだけを利用して
社内システムを緩やかに地道に変えていった。
理屈を説明しても話が通じる相手が居なかったから、
上司に咎められない範囲内で、私の独断で事を進めた。

極力、外部のベンダー企業にシステムを外注することは避けた。
今でも、スケジュール管理と、データバックアップの部分だけを外注している。

そして今は、もう、私がスマホの進化に付いていけなくなっている。
私の入社当時の上司たちが理解できなかったように、
今、私も理解不能な現実が若い人たちの間では当たり前になっているとしても
何もおかしくはない。

歴史は繰り返す。
・・・と言っても、
まったく同じように繰り返すのではなく、表面上は形を変えながら繰り返している。
現実の実態は、そう単純ではないだろうとも思う。

わかったつもり。
知っているつもり。
そういう“裸の王様”状態のまま気付かず知ったかぶることだけは避けたい。
そもそも、人生も、世界も、元々わからないことだらけなのだから。

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