“道を知ることと実際に歩むことは違う” 〜映画『マトリックス』より
“道を知ることと
実際に歩むことは違う”
〜映画『マトリックス』より
世界の本当の姿そのものや、自分で為すべきこと自体を知ろうとすればするほど、
実際には進んでいかない場合が多い。
もし、本当に自分で進もうとするなら、かえって
むしろ誤解しているくらいがちょうどいい。
変な誤解は困るけど、
自分なりに周囲の環境や関係者からのメッセージを受け取りながら、
それに呼応して生きていく。
もちろん半信半疑になる時もあるでしょう。
疑いながらでもいい、地に足が着いた実感を掴むためにも、
自分の信念は信念として棄てないまま、
流れに棹ささずに進んでみる。
思いもよらない方向から後押しされたりすることもある。
訳がわからないから訝しんでしまうこともある。
それでも、この訳のわからない世界を手探りで進んでいけばいいのだと思う。
そして、こうした関係性は、お互い様でもある。
自分でしていることが、別の誰かにとって反面教師になることもあるでしょう。
それもまた役割分担のひとつ。
反面教師として役に立つことも、時には大切な役割だと思う。
周囲にいるのが理想的な人ばかりでは息が詰まってしまうから。
反面教師的な人物も居たほうが、
「ああなるまい」という心に火が付きやすく、それが生きる原動力にもなり得る。
悪意を持って反面教師になろう、というのは論外だけど、
あえて反面教師になる、くらいなら充分に意義があるし許容範囲内だと思う。
優れた教員や上司には、そのような人も散見される。
キリスト教でも、愛の対義語は無関心だという。
上滑りした仲の良さよりも、切り結ぶような真剣さのほうが
私の好みです。