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私が男であることについて

男の人は、一般的に、本能的に競争を好むのだろうか。
格付けをして、あいつより上だとか下だとか。
女の人にもいるか、そういう人。

私の中にもそういう感覚が無いわけではない。
しかし、
不愉快でしかない。自分が上でも下でも。勝っても負けても。
そういう場のピリついて澱んだ感情溜まりのような空気感が
心地悪くて仕方ない。

楽しく感じられるのは、
例えばゲームの場合でも結果ではなくプロセスのほう。
「そんなアプローチもあったのか!」とか、
「そんな楽しみかたもあるんだ~」という発見が楽しい。

結果も、もちろん参考にはなる。
基本的なルールがあり、一つの目標を目指して競い合うからこそ
プロセスが生じ、発見があるのだから。

何の目標もないまま、のんべんだらりとしている状態では、
発見できるものも発見できない。

競争するシステムは、私にとって、
そういう発見を促し、増やすための社会的装置に過ぎない。
現実の生活にも絡んでくるから
それだけとは言い切れない側風もあるが、そこに私は魅力を感じられない。

それでも、私は現に男である。
男の人が本能的に競争を好むのだとしたら、
“争いに関心を示さない私”という存在は、
本能に則して生きる自然な男の人たちからすると、相当疎ましいのかもしれない

本能であるからには、基本的には枯渇すれば飢えるのだろう。
私がその飢えを感じないのは、
満足しているからなのか、それとも、
自分の中に内在している男性性が不愉快だからなのか。
たぶん、両方なのだと思う。

・・・という備忘録。

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