自分を正当化したり擁護するための嘘をつかされるのは苦しい
嘘をついたことがないわけではない。
自分を守るための嘘をとっさについたこともあった。
誰かとの関係性を守るために偽ったこともあった。
ひとたび嘘をつき始めると、
そのことが発覚しないために、嘘の上塗りを重ねることになる。
個々のことをうまく思い出せない私にとっては難しい芸当だった。
私には向いていない。
たとえ、身近の大切な人の利害関係が絡んでいる状況だとしても。
「一度だけでいいから」
と言われても、
その一度の嘘が、多くの嘘に繋がっていく。
「あれは言わされました」
と直後に言っても構わないのなら話は別だが
そんな状況は到底考えられない。
きっと、そんなことを言えば、
余計に問題や人間関係がこじれてしまう、と思うと、
私はその板狭みに耐えられない。
たとえ嘘つきの烙印を押されようと、
何かや誰かを守るために自ら肚を決めて嘘をつくことならできる。
組織を円滑に回していくために方便として、
役割としてグレーな言い回しをすることもする。
しかし、
自分を正当化したり擁護するための嘘は、
たとえ自分だけのためでないとしてもキツ過ぎる。
遊戯三昧
青山元不動
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まこっちゃ改め愚直亭小抹茶