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「金融資本」以外の資本にもスポットを当てて
「生きる、を耕す」をスローガンに掲げ、
いかしあうつながりがあふれる幸せな社会を目指して
WEBマガジンを発行し続けている「非営利組織グリーンズ」から発信された
4年以上前の記事
世の中はお金だけじゃない。「9つの資本」で、みんなの身の回りにあるものを可視化し、“豊かな経済”へのストーリーを編集しよう!
をご存知でしょうか?
“行き過ぎた資本主義経済”が明確に問題視されるようになった今でもなお、
大手企業をはじめ、
「9つの資本」のような新しい資本概念に基づく会計書類を公的に作る組織が現れないのは
どうしてなのか、ずっと不思議に思っていました。
SDGsには(その内容そのものの良し悪しは別としても)各企業が取り組み、その活動を積極的にPRしていることは周知のとおりです。
それはそれで一応、良いとしても、
本来なら「金融資本」だけではなく「社会資本」「生命資本」「知的資本」「文化資本」など様々な資本概念を幅広く検討し、
それらの価値基準を独自に設けて財務諸表等に含めた先進的な会計情報
を提示している組織がそろそろ出てきてもいいような気がするのですが、
いまだに見たことがありません。
どうしてでしょうか?
もちろん、「社会資本」「生命資本」「文化資本」など数値では測りにくいものもありますが、
例えば現行の会計システムにおける「減価償却」のように、
本来なら測りにくい価値の評価を一般則に基づいてテクニカルに数値化する方法論も確立されていますから、
そうした現行の会計システムにおけるテクニックを援用していけば、
「ある仮説に基づいて算出した数値」として必ずしも勘定できないわけではないはずだ、と私は考えていました。
先進的な会計書類を提示するようにしていけば、
企業や組織の透明性や、「金融資本」に偏らない運営姿勢などをPRできるのではないか、とも、常々思っていました。
・・・いろいろな人のご意見やお話を伺っているうちに気付かされたのは、
特に、会計情報として開示する内容は、
コストの面からミニマムであるとともに、
「信頼性、検証可能性がなければいけない」
ということでした。
「社会資本」「文化資本」など、
どうしても主観が入る事柄については客観性を担保できません。
客観性を担保できなければ、当然ながら検証可能性がありませんので
信頼性も怪しくなります。
客観的な基準を設けるとなると、どうしても形式主義にならざるを得ず、
実態がどうなっているか、よりも、
一本、筋の通った会計情報として一貫しているかどうか、
というところが問われてきます。
そもそも、「9つの資本」についての財務諸表を作成するアイデアは、
既存の帳簿のテクニックの活用なくしては成立しません。
「金融資本」に関する会計情報との整合性が取れなければ、
帳簿として正常に機能しないのは明白だからです。
現行の会計についての原理・原則が上述の通りである以上、
曖昧な基準を余分に付加することは組織運営の会計の基本方針に反することになります。
確かに、どんなに善意で運営していても、
あくまでも主観的な基準による価値評価については証明できませんし、
反証可能性もありません。
だから、実態経済において採用されない。
これは大きな理由として、つくづく納得しました。
とはいえ、あくまでも内部情報としての運用なら
組織内運営の透明化など、一定の意義もあると思います。
ただ単純に私が知らないだけで、
既に諸々の評価基準として「金融資本」以外の資本についての評価と運用を組織内に導入しているところもあるかもしれません。
しかし、それは公表される会計資料としては提示されないのでしょう。
きっと提示しても無用な混乱を招いてしまうだけですから。
客観性のない情報を公開したところで、それはリスクにしかなりません。
内部情報として、柔軟な発想で「金融資本」以外の大切な資本も重視しつつ運営されている企業や組織も、少しずつ増えていくかもしれません。
そうなれば、口コミ的に知られていくこともあるでしょう。
単なる税務対策としての会計資料を作るだけではなく、
「本当の豊かさ」を追求して、内部情報でも構わないので
社内風土の一環として「金融資本」以外の資本にもスポットを当てながら
全体的な運営を推進していくところが今後、増えていくことを
願って止みません。