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「教育と愛国」から思う事あれこれ

 毎日放送の映像シリーズは唯一今の日本の放送人の良心と心意気を感じる番組だと普段思っている。特に斉加さんの撮るものは特別にそう感じる。
 今やこういったドキュメンタリー番組は日本の放送では絶滅危惧種だという現実である。

 2006年に教育基本法が改正された。改正という名の改悪ではあるが、当時、それなりに話題にはなっていたと記憶している。こどもに関わる仕事をしていたせいで教育関係の事で関心があった為、一般的な子育て中の保護者とは感覚が違っていたのかもしれない。

愛校心と愛国心

まゆこが中学生の時、入学前の説明会の時から入学してからとで急に学校の教育目標が変わったと感じたときがあった。多分15年前くらいだ。福島県の公立中だったが、やたらいろんなコンクールで全国1位を取り、生徒は規則に忠実なのが自慢の校風で、保護者の多くもそれに大満足。同じ市内の公立中学が荒れに荒れている中、その中学は品行方正、文句のつけようがないというような学校だった。まぁ見た目にはということなので問題が出る前にいろいろ大人がそれだけ管理していたのは言うまでもないだろうけど。       ある意味統制されている雰囲気だったのだけど、2年生の時かな、教育目標が「愛校心を持ち伝統を守り、〇中生として誇りをもった生徒」というような教育目標が掲げられた。

愛校心を持つ 気持ち悪い、そんなことを教育目標に掲げられるというのが違和感でしかなくなんだか愛国心みたいで気持ち悪くないか?と仲の良かった保護者の中で話したら、え?なぜ?とまるで違和感ない様子。違和感どころか、伝統を守らないとね。みたいな話も出るし、そういうものなのか、と驚くとともに、この愛校心や伝統、とうワードは愛国心に速攻つながる、すんなりこの愛校心が愛国心に一文字入れ替えても、違和感なく受け入れるこどもに育つのではないかと恐ろしさを感じていた。

 その教育目標が、教育基本法が変わったタイミングでそのように変化したのかどうなのかはわからない。その後、娘は自由の森学園に進学したし、下の子は中学を台湾の日本人学校で過ごした。日本人学校なのでもちろん日本の文科省のもとの教育なのだけれど、幸い息子がいっていた間は、台湾と日本のダブルのお子さんが半数くらいいたし、日本の公立の中学よりはのびのびした環境でさほどの偏りはなかった気がする、赴任してくる教員の資質にもよるけれども。

教科書の変化と教師の変化

教育と愛国の映像の中で出てくる、教科書の問題。2014年に、私はこんなことをfbに書き記していた。

教育基本法改悪の時、なんでこんなことになるんだ。と思った。
 そしてまた「愛国心」というわけのわからないものを教育に盛り込んで押し付ける。気持ち悪い。
だいたい「愛国心」など人からどうこう教えられたり押し付けられたりするものではない。内面の問題だし、 第一、なにをもって「愛国心をもった態度」とみなされるのか?いろんな考え方があるはず。国がが決定したことに、間違っているんじゃないかと、違和感を感じても 個人的な感情を押し殺し国の考えを支持し協力することが愛国心のある人となるのでしょうか?
それとも、それは、間違っているんじゃないかと、国に対して、意見を表明し 国の判断が間違うことのないように、正面から抵抗することが、愛国心なのか?
いろんな考え方があるから・・・。ではすまされない。道徳教育が教科化なっている限り、成績評価をするのですから だれかが、「正しい愛国心のあり方」を決めなければいけなくなるのじゃない?
こどもの心のありかたまでを強制していきます。
国に従う、国に服従するように教育される危険性が大きすぎます。
道徳を教科にすればいじめが減る なんて妄想もいいところ。
なぜそのような事がおこるのか、社会が病んでいるとか貧困の問題とか、平気で嘘をつく政治家とか、命を守ろうとしない国や大人、そんな世の中の根本をほったらかしのままでなにが変わるのだろうか。

道徳が教科になるというニュースをうけてつぶやいた文章。いまや道徳は教科になり騒がれもせず子どもたちは道徳の評価をうけ、教師は道徳の評価をしているのだろう。道徳の問題と別に社会科とくに近現代史の部分の問題がある。映像に出てきた東大名誉教授の伊藤隆氏。こういう人間が名誉教授になるのかと、不名誉教授の間違いではないかと思うくらいの人物なのだが、おそらく政府筋とべったりのあまーい関係だったのだろう。歴史学者なのだが、歴史から学ぶものはない。と断言していた。

とにかく歴史修正というかもう改ざんだろ、という人たちの発言はほぼ同じで日本に都合の悪いものは「自虐史観」「左翼思想」「反日」「デマ」という事になりそのような教科書を使う事は「ちゃんとした日本人」になれない。という主張である。この方々が言う「自虐史観あふれる教科書を採択する、しようとする学校には、脅迫めいたハガキを山ほどおくり、ほかにも嫌がらせをするという実にわかりやすいくらいのろくでもない人間性の集まりなのだ。中には、山口県のどこぞの元市長とかもいて、ハガキの内容もわかっていなくてあて名書きに参加している始末。この国の愚かな面々がとにかくこの映像には勢ぞろいしてくる。

息子は日本の県立高校に進学した。よくしゃべる方だったので、授業がおかしい、気持ち悪いと入学してすぐに言っていた。まずは体育、一学期の一番初め、とにかく回れ右とか右むけ右、前えならえ をひたすら1時間させられた。その次はちゃんとした体育かと思いきや、足の高さをそろえてひたすら体育館を集団でぐるぐる行進。1,2、の掛け声を腹から出せと怒鳴られる。少しでもずれがでると怒鳴られる、やり直し。団体責任を負わされる。1学期のテストは腹の底から声を出しながらのラジオ体操。 毎回息子は試験に落ちていたらしい。そんな気持ち悪いテスト受からなくて正解や。というと笑っていたけど、嫌だと違和感感じているだけいいが、それをすんなり受け入れている子がほとんどなのが、これまた恐怖だった。

そして社会は、歴史認識がおかしいネトウヨみたいな教師だと、毎回怒っていた。そんな話を別の所でするとそういう教師が増えているという、教科書もおかしくなっているが、教師の認識がそうなると救いがない。これも息子が高校の時なのですでに5年前になる。

教育基本法

2006年教育基本法が改正(悪)された時、反対の声もあがっていたがそれほど大きなうねりにもならずに通った。すぐに目に見えてなにか悪くなったと感じなかったかもしれない。しかし着実に堂々と政治が教育に介入する潮目になったのは間違いないのではないだろうか。             あの時、反対していた団体や政党はあったが、通ったあとは追い切れていないのではないだろうか、次々でてくるissueに追われ、その時その時で手一杯になるし大きな広がりもできないままに時は過ぎる。現場の教師でそれなりに意識を持っている人はどんどん少なくなり抗えなくなる。教師同士のつながりも組合のチカラも希薄であり、悪いような流れに抗えなく日々を過ごすことになる。

法を変えてしまうというのはこういう事だとしみじみ思う。気が付いたら取返しつかないところまで来ているのだろう。大枠の法を変えるという事はそれほど大変なことが待ち受けるという事なのだ。これが憲法だとどうなるか想像がつくだろう。いったん変えるとどうなっていくのかが、、、、。

教育と愛国、私が観に行った日は平日の午前中だったので、若い層はいなかった。元教師かなというような方々がたくさん来ていた。どのようにあの映像を観られただろうか?現役の若い教師や、子育て中の保護者にはぜひ見てもらいたい。政治が教育に介入するという事はどういうことになるのかをこの国の人は今考えないといけないのだろう。権力者により教育が狂育になってきているという事を知らなければと思う。

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