国立西洋美術館は常設展が強いという話
ジャンルを問わず美術展を見に行くのが大好きな私には、何度も足繫く通う美術館がいくつかある。その中でもとびきりのお気に入りが、上野にある国立西洋美術館だ。
美術展というと企画展に行かれる方が多いことと思う。私も美術展ナビ等で企画展の情報は頻繁にチェックしている。「印象派」「ロココ」といったテーマをしぼったものや、「ルーブル美術館展」のように海外の所蔵作品がやってくるものなど、企画展は目を引くものが多い。
……が、国立西洋美術館に関しては、その真髄は常設展にあると私は思っている。
先日行った際に、作品によっては撮影がOKになっていることを知った。そこで、何点かピックアップしてその魅力をご紹介できたらと思う。
(要するに常設展が好きすぎるのでオタク仲間を増やしたいだけ)
絵画
常設展の入り口では多数のロダンの彫刻が歓迎してくれるのだが、写真を撮れていないので割愛。
カルロ・ドルチ『悲しみの聖母』
まずは私が常設展に通うようになった理由の一つ、私の恋人。
身を引き裂かれるような悲しみを湛えながら、同時にその悲しみを肯定するような聖母の佇まいが衝撃的で、もう何度会いに行ったことだろう。
実はこの作品が好きすぎて『カルロ・ドルチの青』というタイトルの美術ミステリを書いたことがある。その中で主人公にこんな独白をさせた。
Web公開はしていないが、いつか改稿して何らかの形で公開できればと思っている。
マリー=ガブリエル・カペ『自画像』
彼女も私が良く会いに行ってしまう存在。しかし、ドルチの聖母が触れられざる恋人であるのなら、こちらは慕わしき友という感覚だ。
美人すぎやしないかとか、画家がこんなドレスを着ているはずがないとか、フィクションはふんだんに盛り込まれているものの……知性と自信に溢れた瞳と、親し気な機知を飛ばしそうな唇。憧れるにはそれだけで十分だ。
エル・グレコ『十字架のキリスト』
絵画が聖性を帯びることがあるとしたら、エル・グレコの作品はその筆頭だろう。
何度見に行っても、前に立つだけで鳥肌が立つ。今まさにそこでキリストは私たちのために命を捧げている……そんな現場に出くわしてしまったかのような臨場感。圧倒的な激情。
フランシスコ・デ・スルバラン『聖ドミニクス』
続いては聖性の中に蜷局を巻く狂気。
聖ドミニクス。言わずと知れたドミニコ修道会の創設者、無論列聖された聖人である。のだが……この絵の前に立つと底知れぬ恐怖を感じる。
陶酔しきった焦点定まらぬ瞳でゆるく手を組む黒衣の修道士ドミニコの傍らには、棘付きの首輪をして牙を剝き出した犬が、松明を咥え差し出している。異端審問で知られるドミニコ会、その松明は果たして道を照らすという比喩だけにとどまるのか。
ヨハン・ハインリヒ・フュースリ『グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ』
ちょっと怖い絵シリーズ。
なんといってもこの馬の表情! 亡霊の顔ももちろん恐ろしげだが、テオドーレを嘲笑うかのような馬のインパクトが強烈である。その後人物に視線を移してみると、緊張に張り詰めたテオドーレ、食い殺さようとしているグイド・カヴァルカンティの恋人ともに、ドラマティックな肉体の描写に圧倒される。
ニコラ・ド・ラルジリエール『幼い貴族の肖像』
お口直しに愛らしい肖像を1枚。
これぞロココ。優美なタッチと色彩、少年の柔らかな質感など、愛おしさがこみ上げるように作り込まれている。この幼い貴族の幸せな行く末を祈る画家の温かい眼差しを感じる。
写本
常設展にあるのは彫刻や絵画だけではない。装飾写本も展示されている。
朗読集零葉
1500年頃のカスティリャ王国のもの。
聖務日聖歌集零葉
あまりにも美しい整然としたネウマ。同じくカスティリャのものだが、譜線ネウマなのでモサラベ聖歌ではなくグレゴリオ聖歌だろう。
ちなみに、ミュージアムショップでは彩色写本グッズと本が売っている。日常を中近世色に染めたい写本オタクの皆様は是非。
宝飾品
なんと宝飾品もある。ハリーウィンストンやブルガリ、カルティエといった現在も流通する有名ブランドのものもあれば、こんな遊び心のある作品も。
何度も見に行きたくなるからこその常設展。目と心を癒したい方は是非足を運んでみて欲しい。
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