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人生にアクセルもブレーキも必要ない。
人生にアクセルもブレーキも必要ない
私たちは、人生という道を走る車のようだと考えがちだ。前に進むためのアクセル、危険を避けるためのブレーキ。でも、本当にそれらは必要なのだろうか。
朝、目が覚めて窓を開けると、そこには生命力に満ちた世界が広がっている。鳥たちは誰に命令されることもなく、空を自由に飛び交う。木々は誰かのスケジュール通りに成長するわけでもなく、ただ太陽の光を浴びて静かに伸びていく。そう、自然は何も強いることなく、ただ在るがままに存在している。
私たちは、いつからこんなにも自分を追い立て、また抑制するようになってしまったのだろう。「もっと頑張らなければ」というアクセルと、「ここは慎重に」というブレーキの間で、絶えず心が揺れている。昇進のために残業を重ね、人間関係を壊さないように本音を飲み込み、SNSで他人の人生と比較して自分を責める。そんな日々を送っているうちに、本来の自分を見失ってしまう。
でも、本当は違うのかもしれない。人生は、アクセルもブレーキも必要のない旅なのではないだろうか。
例えば、子どもたちを見てみよう。彼らは純粋に「今」を生きている。楽しいと感じることに夢中になり、興味のないことはさっさと諦める。疲れたら休み、元気が出たら走り出す。そこには計算も、他人の目も、将来への不安もない。ただ、心の赴くままに生きているだけだ。
もちろん、大人には責任がある。仕事や家族との約束は守らなければならない。でも、それは必ずしも自分を縛ることとイコールではない。むしろ、自然体でいることで、より良いパフォーマンスを発揮できることもある。
例えば、仕事で行き詰まったとき。必死にアクセルを踏んで突っ走るよりも、一度立ち止まってゆっくり考える時間を持つことで、新しいアイデアが生まれることがある。また、人間関係で悩んだとき。ブレーキをかけて感情を抑えるのではなく、素直な気持ちを伝えることで、かえって相手との距離が縮まることもある。
自然体で生きるということは、決して怠けることではない。それは、自分の内なる声に耳を傾け、本来の自分のリズムを取り戻すことだ。時には全力で走り、時にはゆっくり歩き、時には立ち止まる。それらすべてが、自然な流れの中で起こることなのだ。
人生は、決して直線的なレースではない。むしろ、美しい庭園の中を散策するようなものかもしれない。急いで目的地に向かう必要はない。道草を食うことも、寄り道をすることも、その全てが人生という旅の一部なのだ。
アクセルもブレーキもない生き方。それは、自分自身への深い信頼を持つことから始まる。自分の感覚を信じ、自分のペースを大切にする。そうすることで、私たちは本来持っている自然な力を取り戻すことができる。
そして、そんな生き方をしている人は、不思議と魅力的だ。無理に背伸びをせず、かといって自分を卑下することもなく、ただ在るがままにそこにいる。そんな人の周りには、自然と人が集まってくる。なぜなら、その人の中に本物の自由さがあるからだ。
今日から、アクセルもブレーキも外してみよう。朝起きて、まずは深い呼吸をする。窓の外の景色を眺め、一日の始まりを感じる。今の自分にできることを、無理なく行う。疲れたら休み、やる気が出たら動き出す。
そうして過ごす一日一日が、きっと今までよりも豊かなものになるはずだ。なぜなら、それは本来の自分の姿に近づいていく旅だから。アクセルもブレーキもない、自然体の生き方。それは、私たちが本来持っている生きる力への信頼を取り戻す道なのかもしれない。