どうも、かんまこです
ようこそ、神崎マコトです。
2024年は怪奇宴投稿グランプリに全力を注いだ1年でした。ありがたいことにこんな自分をフォローして下さる方がぼちぼちいらっしゃいますので、とりあえず自己紹介がてら経歴を振り返ってみようと思います。
一部過激な表現が混じるかもしれないのでご注意下さい。また検索避けのため「/」を差し込んだりあれこれしている箇所があります。ご了承下さい。
● 神崎さんち
くどい顔の相方、年子の娘ふたり、ぬこさま四柱(12歳♀、5歳♀、2歳×2♂)、金魚5匹、鯉1匹、メダカ4匹。
元J官で会計職種、相方とは入隊同期。前後期教育終了後地方協力本部に所属しJ官募集業務に従事。家庭の事情で6年で退職したが、当時の同期とは今も連絡を取り合い慰安旅行(笑)など楽しく交流中。普通に生きてたらまず経験しないことを存分にやり切った6年間は私の宝物。
● 神崎の経歴 イラスト編
物心ついた時からお絵描きが好きで、カレンダーやチラシの裏にひたすら絵やマンガを描いていた。また厚紙に正十二面体などの展開図を書き、絵を描き込んで組み立てるのも好きだった。絵を描いてない時はひたすら工作するかパズルしてるか、ブロックで家を作るかのどれかだった。
高校では帰宅部だったがクラブ活動でアニメ同好会(今でいう漫研)に所属し、何度か雑なよろず本の同人誌を製作。先輩がたがガチで二次元を愛しコスプレしてコミケに入り浸る様子を見て内心ドン引き。学生時代はオリジナル至上主義で、アニメやマンガの二次創作にまったく興味がなかった。
・四コマ漫画
ドラクエが大好きで、「ドラクエ四コマ劇場」に投稿し始め、二回ほど掲載された。超嬉しかった。この時から、四コマに深く関わり出す。
J隊退職後、J隊機関新聞「朝雲」(一応全国紙、週一発行)で四コマ漫画を隔週連載。つまり、月に二回ね。別の機関雑誌へ投稿した四コマが編集者の目に止まっちゃったらしく、退職間近という時に直電が来てどちゃくそびびった。結局5年半お世話になった。
また育児サークルの会報紙でも四コマを5、6年連載。
四コマ歴は意外に長いんすよ。
この時もう「絵でお金をいただく」ということをしてたんだなと今さらのように驚く。
・LINEスタンプ
そして、LINEがスタンプ募集を始めた時の初期メン。14年前か。
当時のスタンプバブルはすごかった……ひと月の売り上げが20万超えてたので。LINEスタンプはちまちま増やして現在29作。今はもう全然大した金にはならないけど一応不労所得。ありがたい。
当時20万ぶち抜いた伝説(笑)のスタンプがこちら 。↓
https://store.line.me/stickershop/product/1005132/ja
神崎マコトで検索すると29作全部見れるよ! 見てみてね!
このクオリティで稼げたんだからすごい……スタンプは小さいから、線のヨレやアラが割とごまかせるんだよね。
ていうか、LINEスタンプ描いてるくせに、実際LINEを使いだしたのは相当後になってからという事実。今のクオリティで全部ブラッシュアップしたい欲が止まらないぜ。
ちなみに期間限定でONE PEACEスタンプを販売できた時期があって、4種類作成してひと月最高15万売り上げた。ウッヒョ
この時のスタンプが単行本の端っこにチラッと載ったよ!ちょっと自慢!
・イラストに関するその他
あとは……ガラス彫刻のデザインやTシャツの作成(どちらもSUZURIみたいな感じ)など、やれることは大抵やってる気がする。
片っ端から色々やりまくってた理由はのちほど。
相方のツテだったりフォロワーの依頼だったりでイラストのお仕事をもらうことも何度かあった……って、あれ、ひょっとして私一応イラストレーターだったのかもしれない。←
エヌエフティなるものも手掛けていた時期があって一応そこそこ売れてはいたが、クリエイターの飽和状態によって競争が激化、あふれ出るもろもろの膿に耐え切れず離脱。
でもまあ、暗号資産の知識をそこそこ得たことだけは救い。
このあとバセドウ病になってしまい、夜勤をやめて療養しつつ、ひたすら絵を描くことに。
フリーイラスト素材などを描きまくって、複数の素材サイトに投稿している。今のところイラストACがいちばん登録数が多いが、著作権を放棄しないといけないのが気になってきたので、今後できればピクスタとアドビストックをメインにしていけたらと思う。余力があれば……だけど。
頑張って量産したおかげで、2ちゃん系の動画などに時々イラストを使ってもらえているようだ。嬉しい。
● 神崎の経歴 小説編
小学生の頃はあまり本を読む子ではなかったが、年の離れた兄が買っていたGAMEブックだけは、難しい漢字を飛ばしながら必死に遊んだ。自分でストーリーを選択できるということがとにかく新鮮で面白かった。
また家には両親の本が色々あったが、惹かれて読むようになったのは筒井康隆氏。破天荒な突拍子のなさが狂気的で好きだ。あと大藪春彦氏の本を隠れて読んだりもした。ほら、結構内容がアレだから。←意味深
物語を書く、という真似事のようなものは小学生からしていたと思う。
本格的に小説書きにのめり込み始めたのは高二の時、先輩の影響で。
その頃ジャンプ系雑誌の漫画原作コンテストに応募して最終選考に残ったのは良い思い出。
超長編から短編まで色々書いたが、ほぼファンタジー。途中で止まったままの超長編をいい加減に終わらせないと、と思って早幾年。
・神崎とGAMEブック
ある時、某ミクシィでGAMEブックのコミュニティに入ってあれこれ語っていたところ、その復興を目指して活動しているF/T書房の代表にお声がけいただき、GAMEブック作家を目指すことに。
私の文章の基礎はGAMEブックと言っても過言ではないくらい、海外翻訳系GAMEブックが大好きだったのですごく嬉しかった。代表から指導をいただきながら日々研鑽を積み重ね、中編一本と短編もろもろを執筆。
F/T書房から出ている作品はこちら。
・ミニGAMEブック集 N氏の休日 https://amzn.asia/d/dDuPtjg
・ミニGAMEブック集 恋は盲目 https://amzn.asia/d/gCV4OYs
・GAMEブック クトゥルー短編集 https://amzn.asia/d/fOKYw1Q
・100パラGAMEブック 双頭神の宝冠 https://amzn.asia/d/3la3dPi
で、色々あってF/Tを離れ、T書房の代表に依頼を受けてアンソロジーに参加したり、神崎作品オンリーの短編集を出版したりもしたんだけど……
・GAMEブックアンソロジー ひでりぼし
・こねこな君との狂想曲(神崎マコト作品集!)
・GAMEブックアンソロジー 湖畔山荘のサツジン事件
※全品在庫切れ
ええまあ……三冊目を出した後にちょっとすったもんだがあり、GAMEブック執筆から手を引いた。原因はざっくり言うと作品に関する意見の相違。
いつか短編集の作品全部手直ししてkindleに上げてやるからな。見てろ。
GAMEブックは普通の小説より複雑で執筆が難しい。
二人称、凝ったギミックや戦闘時の数値の調整、パラグラフ管理、難易度のバランスなど、オールドファン(古典的な作品が好きなファンの意)の私が文章力だけで勝負するのはかなり無謀だったと今にして思う。時代と共に執筆の仕方は変化しつつあるけどね。
今改めて書いてみろって言われても無理。書き方忘れた。
でも時代に合わせたスタイルに変化させての執筆、ノベルゲーム等にするのは絶対いけると思うんだ。いつかやってみたい。めっちゃ怖いノベルゲーム作って、ゲーム実況者さんたちの目に止まりたい!
それはさておき、GAMEブック復興を目指して頑張っているかつての仲間たちの活躍は、風の噂で聞いている。優秀な彼らが再びGAMEブックブームを巻き起こしてくれると、信じてやまない。
そして現在、当方もkindleでGAMEブックを三本出していて、忘れた頃たまーに売れている。
よかったら、見てやって下さると嬉しいっす。
自分の作品を世に遺したいと強く思うようになったのは、あの大震災がきっかけだ。
一瞬で世界が激変したあの日、私の名前を刻んだ作品を世に残すまでは絶対に死ねないと思った。名もなきパンピーとして死ぬのはいやだ、と。
何でこういう思考になったのかは、今も分からない。
・怪奇宴投稿怪談グランプリ
たびたび話題にしているが、ナナフシギプレゼンツ「怪奇宴投稿怪談グランプリ」の存在を知ったのは本当に偶然だった。
たまたま相互になった方がリポストしたものを、流れの早いTLの中でたまたま見つけた。
(`・ω・´)これを運命と言わずして何と言うのか✨
というわけで100万円につられて(正直)一年間の投稿生活を開始。
しかし、待てよ。
そもそもナナフシギさんを知らない。
怪談というものも、よく分からない。
まずそこを調べないことには話にならないってんで、ナナフシギさんの動画を見て雰囲気をつかみ、怪談とホラーの違いについても散々検索して調べた。洒落怖の知識はあったので、それらを参考にすれば何とかいけるか、と試行錯誤して作品作りに取り組んだ。
そうして、合計8作品投稿し、全作品一次選考通過。
うち3作品が月間グランプリ獲得。
スタートダッシュを決めて以後、強力なライバルたちの出現で競争は激化し、5月以降はグランプリに届かなかった。残念。
途中、メンタル低下(仕事が原因)と体調不良が重なり、投稿できなかった時期があったのも本当に残念。
だが。
グランドチャンピオンシップにて接戦を制し、初代グランドチャンピオンをつかみ取った。
全身が震えた。
私はやり切った。
初めて、欲しいと思ったものを自分の手でつかんだ、そんな思いだった。
仕事は手抜きができないので、家事その他に大いに手を抜き、自分のことは二の次にしてとにかく創作し続けた一年間だった。生みの苦しみに悶絶し、限られた時間と文字数に苦悩したが、でも、強力なライバルたちと切磋琢磨した日々はとても充実していて楽しかった!
そして作品を通して繋がって下さり、応援して下さった方々には本当に感謝しかない。ありがとうみなさま、ありがとう世界。
こんなところかな。
ここまで読んで下さったご奇特な方、ありがとうございました。
1年間で培った「恐怖」を、今後の作品作りに生かしていきたいと思います。今後さらに色々な経験をすることになると思うので、それらに全力で食いついて噛みちぎって飲み込んでいきますよ!
今後とも、どうぞ神崎をごひいきに✨
よろしくお願い申し上げます。