[メモ]イエスの婚約者(1)イエスの法的嫡子

当方は聖書原理主義・福音主義的な立場だが、イエスに婚約者がおり、おそらくその相手はマグダラのマリアであったと今のところ考えている。イエスとマグダラのマリアの間の結婚に類する関係を想定する俗説は多くあり、古代ではグノーシス文書で見られる(『フィリポの福音書』など)が、キリスト教の主流派では基本的に認められていない。

実際にここで考えるのは、イエスがマグダラのマリアと結婚していたという説ではなく、あくまで「婚約していた」という説を考える。そのため、イエスが子なくして死んだという理解は正統的な考え方と共有している。結婚関係や婚約関係の話は、男女の恋愛が~、というような見方に偏りがちで、それももちろん尤もな視点だが、結婚や婚約のもう一つ重要な側面として、家系と家系の結合、盟約関係という意味合いも、特に古代ほど強いと思われる。

マタイ伝とルカ伝はイエスの系図を示しており、両者ともイエスが王の血統であることを証言している。またルカ伝では祭司家系との親族関係も示唆している。また、この後見ていく中で、おそらく、まだ詰め切れていないものの、マグダラのマリアもただならぬ家系の人物なのではないか、という推測が出てくる。イエスとマグダラのマリアの婚約は、恋愛関係というよりは(そのような感情が彼らに無かったとは言い切る必要もないとは思うが)、両家が旧約聖書の時代から受け継いできた文脈同士が結同する出来事だったのではないだろうか。

このことを考え始めたきっかけは、主に「ユスト」という称号について考察したことだった。

これらの考察の結論だけ復習すると、

・使徒行伝の使徒候補バルサバ=ヨセフ=ユストは、四福音書のアリマタヤのヨセフと同一人物である。

・バルサバ=ヨセフ=ユストは、イエスの父ヨセフと同一人物である。

・ユストの称号は祭司家系・ツァドクの家系・正しい人を意味するツァディークのラテン語訳である。イエスの父ヨセフは王統であると同時に祭司統であったと思われる。

・ヤコブ=ユストとバルサバ=ユダはバルサバ=ヨセフ=ユストの子でありそれぞれ称号を継いだ。この二人はイエスの父ヨセフの子である主の兄弟ヤコブと主の兄弟ユダであり、新約聖書に含まれているヤコブ書簡とユダ書簡の著者である。

・ヨセフ=ユストとヤコブ=ユストを継いだ三代目の教会全体の指導者がコロサイ書に登場するイエス=ユストであり、この人物は主の兄弟ヤコブの死後に大祭司を務めたイエス・ベン・ダムネウスとおそらく同一であり、ヤコブ=ユストの次の次にエルサレム総主教座を継いだユスト1世ともおそらく同一である。また、使徒行伝のシラスと同一人物である。シラスという名は三代目を意味するアラム語のギリシア語音写である。

・イエス=ユストはヤコブ=ユストからユストの称号を継いでいる。

・イエス=ユストは、イエス=キリストから名を継いでいる。


イエス=ユストがイエスの名を継いでいるとすると、それはただ単に先人に敬意を込めて、ということを連想しがちかもしれないが、洗礼者ヨハネの父ザカリヤがヨハネと名付けようとした時に「そのような名前の人物はあなたの親族にいない」と不思議がられていることから、原則としては親族関係において名が継がれると推測される。イエスはよくある名前の一つであるから、イエス=ユストは、イエス=キリストと関係ない、別のイエスの名を継いだ可能性も考えられるが、主の兄弟ヤコブ=ユストとの繋がりを想定するならば、AD60年代の執筆と思われる書簡に現れるイエス=ユストが、主イエスの名を継いでいるという可能性は高いと思われる。

イエス=ユストがイエスの血統的子である、と考えることもできるかもしれないが、別の可能性を考えてみよう。イエス=キリストが子なくして死に、もし彼に婚約者か妻があった場合、律法の制度上、ある規定が発動することになる。レビレート婚の制度である(申命記25章)。これによれば、ある長子Aが子を設けずに死んだ場合、Aの弟を始めとして誰かAの近親男子であるCが、その長子Aの未亡人Bを娶って子を産み、未亡人Bとの間の最初の子DにAの名と系統を継がせる、というものである。このとき、Dの血統的父はCであるが、法的父はAとなる。

イエスにある婚約者がおり、イエス=ユストがレビレート婚によるイエスの法的嫡子であるともし仮定し、主の兄弟たちがイエスの両親ヨセフとマリアの子らであると仮定すると、主の兄弟ヤコブがレビレート第一権者である。ユスト号の繋がりから、主の兄弟ヤコブ=ユストがイエスの婚約者を娶ってイエス=ユストと名付けた、という仮説はありうる。しかしここではもう一つ別の論点との調和を図るため別の仮説を考えてみる。

それは十字架上の主の言葉である。

”イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。”ヨハネによる福音書 19章26~27節

この愛する弟子は使徒ヨハネと考えられるが、なぜマリアをヨハネに託す必要があるのだろうか。普通に考えて、マリアの子である主の兄弟ヤコブに託すのが筋ではないだろうか?

しかしここでもし、主イエスがレビレート婚のことを言っているとしたらどうだろうか?主イエスはマリアの長子であるため、マリアを引き取る。この時点で、もしイエスに伴侶にあたる人物がいたならば、マリアはその伴侶の義理の母でもあることになる。だから、イエスが死ぬに際して、マリアはイエスの兄弟には引き取られず、その伴侶が義母の世話の責任を負うべき状態であり続ける。しかしレビレート婚の規定により、主イエスの伴侶でありマリアの義理の娘となったその女性Bは、主イエスの親族の誰かCに嫁ぐことになる。するとBの義母は、Cにとってもやはり義母となる。その親族Cが使徒ヨハネ(あるいは、ヨハネでないとしても、主に愛された弟子)であったのではないだろうか。

使徒ヨハネとイエスが親族関係である可能性はかなり広まっている類の仮説であると思う。これはヨハネ伝の十字架の近くの女性を四人いると解釈し、イエスの母の姉妹とクロパの妻マリアを切り離して別人と解釈すると、おそらくこのイエスの母の姉妹が共観福音書のゼベダイの子らの母サロメと同一視できることによる。つまり主イエスにとって使徒ヨハネは母方の従兄弟ということになる。

しかしレビレート第一権者が主の兄弟ヤコブであるはず、という状況は変わっていない。カトリックでは主の兄弟たちをマリアの子ではないとしているため、父と血が繋がっていない主イエスは、母方の従兄弟が最も近い親戚である、という論理も考えられるが、今のところ主の兄弟たちもマリアの子と考えているため、この論理はとらないことが可能か考えてみる。

一つ重要なこととして、これまでのことから、主の兄弟ヤコブなどヨセフの親族は王統かつ祭司家系であった可能性が高い。すると、通常は何人でも妻帯して良いが、王と祭司は一人しか妻に持てないと律法で定められているため、もしイエスの死没時点で主の兄弟たち全員に一人ずつ妻がいれば、レビレート権はおじや従兄弟に移ると思われる。

また、もう一つ、主の兄弟ヤコブは一生貞潔を保ったとする伝承もあるらしい。これはサラミスのエピファニオス(AD4c)による。

ただこれもマリアの永遠の処女性を擁護する文脈でヤコブの貞潔を伝えているのでマリアの永遠の処女性についての是非を先に検討する必要があるかもしれない。私は、マリアについての伝承は、ローマ・カトリック教会のマリアへの崇敬心の篤さから歪んで伝わっている危険性を想定している(例えばマリアの母アンナの処女懐胎などの伝承は事実ではないと考えている。)が、マリアの永遠の処女性に関しては、確かにカトリック以外の多くの伝統宗派でも信じられているため、一応、一考の余地はあると思われる。

マリアの永遠の処女性を擁護する場合はそもそも主の兄弟ヤコブと主イエスの血統的繋がりが少なくとも二世代以上遡ることになるので、使徒ヨハネがレビレート第一権者として最初から挙がり得ることになる。ただしこのエピファニオスの伝承を全て信じるとゼベダイの二人の子らも貞潔を保ったことになっているのでレビレート婚が使徒ヨハネに対して起こったという仮説自体が成り立たない(十字架の下の愛された弟子を使徒ヨハネでないと解釈する可能性も残っているが今のところこの検討は後回し)ので、要検討事項として保留しておく。

ただ、主の兄弟とされる四人(ヤコブ、ヨセ、ユダ、シメオン)のうち二人以上に妻がいたことは以下の聖句からわかる。

”わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。”1コリント 9:5

いずれにせよ、主が死に際して主の兄弟ヤコブではない誰か(愛された弟子)に母を託したとすると、その相手がレビレート権者であり、イエスの伴侶を娶ることが規定上定まっていたとする仮説はありうる。

さて、別に主イエスに伴侶がいたということが証拠立てられたわけではないが、その可能性を念頭に、じゃあ誰が伴侶か?ということを聖書から推定できると仮定して、考え直してみよう。すると、イエスと、ある女性の婚約関係が暗示される聖書箇所があったことが思い出される。ヨハネ伝の「サマリアの女」の記述である。


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