『エビオン派福音書』断片
より。英語訳からの重訳。
紀元2世紀から4世紀ころまで教父たちが言及しているパレスチナの派閥であるエビオン派は、独自の福音書を持っていたと言われ、サラミスのエピファニオスによって数節の引用が残されている。
エビオン派は菜食主義であったため、洗礼者ヨハネがいなごを食べていたという記述を改変したとされる。
また、処女懐胎を否定するため、該当箇所が無く、洗礼者ヨハネの活動から始まっている。
:::::以下訳文:::::
彼らのうちで一般的に用いられ、「マタイによる」と呼ばれている福音書は、しかし十全でなく完全でなく、偽造され、削除されている。彼らはそれをヘブライ人福音書と呼ぶ。以下のように報告されている。
そこにイエスと名付けられた齢三十年ほどのある男が現れ、私たちを選んだ。
そして彼はカファルナウムに来て、ペテロという異名であるシモンの家の中へ入り、その口を開けて言った。「ティベリアスの湖を通りながら、私はゼベダイの子らヨハネとヤコブ、そしてシモンとアンデレとタダイと熱心党のシモンとイスカリオテのユダ、そしてあなた、マタイを選んだ。私は税関の受領[所]に座っていたあなたを呼び、あなたは私に従った。それゆえあなたを、私はイスラエルに対する証しのための十二の使徒たちとするだろう。」
(サラミスのエピファニオス パナリオン 30.13.2-3)
そして
そこでヨハネが洗礼を授けているということがあった。そしてそこでファリサイ人たちが彼のところへ来て、洗礼を授けられ、エルセレムの全ての者たちもそうだった。そしてヨハネはらくだの毛の衣装を、腰の周りに革の帯を持ち、彼の食物は、そう言われているように、野の蜜であり、その味はマナのそれであり、油に漬かった焼き菓子のようであった。
それゆえ彼らは真理を偽りへと曲げる決意をして、いなごの所に焼き菓子と置いたのである。
(同 30.13.4-5)
そして彼らの福音書の始まりはこうなっている。
ユダヤの王ヘロデの日々に、カヤファが大祭司であった際、以下が起こった。名をヨハネという者がそこに来て、悔い改めの洗礼によってヨルダン川で洗礼を授けた。彼については、アロンの祭司の家系であり、ゼカリヤとエリサベトの子と言われていた。そして全ての者は彼のところへと出て行った。
(同 30.13.6)
そして多くのことが記録された後でこう続く。
人々が洗礼を授けられていた際、イエスも来てヨハネに洗礼を授けられた。
そして水から上がると、天が開かれ、彼は聖霊が鳩の形で降り、自分に入るのを見た。そして天からこう言う声が響いた。
「あなたは私の愛されし子、あなたのうちに私はよく喜ぶ。」
そしてまた「私はこの日にあなたを生んだ」
そして直ちに大いなる光がその場の周りに輝いた。
ヨハネがこれを見た際、彼は彼にこう言ったと言われている。
「主よ、あなたは誰ですか。」
そしてまた天から声が彼に鳴った。
「これは私の愛されし子で、彼に私はよく喜ぶ。」
それで、ヨハネは彼の前にひれ伏してこう言ったと言われている。
「主よ、私はあなたに懇願します。私に洗礼を授けてください。」
しかし[イエス]は彼を妨げて言った。
「それに耐えなさい。というのもこのようにすることが、あらゆることが成就されるべきであるということに適っているのです。」
(同 30.13.7-8)
さらに、彼らは彼が人であることを否定している。それは明らかに、彼について以下のように報告された際に救助者が話した言葉に基づいている。
「見よ、あなたの母とあなたの兄弟が外で立っています。」すなわち「誰が私の母であり、誰が私の兄弟であるのか。」
そして彼はその手を自分の弟子たちに伸ばして言った。
「これらが私の兄弟たちであり母であり姉妹たちである。すなわち私の父の意志を為す者たちである。」
(同 30.14.5)
彼らはキリストは父なる神から生まれた者ではなく、大天使たちの一として造られたと言う。つまり、彼は天使たちと全ての全能者による被造物たちを統治しており、彼は来て、彼らの福音書、つまりマタイによる福音書あるいはヘブライ人による複音書と呼ばれる者が報告するようにこう宣言されたと[言っている]。
「私は諸々の犠牲を廃するために来た。そしてもしあなたが犠牲することを止めないならば、神の憤怒があなたから止むことはないだろう。」
(同 30.16,4-5)
しかし彼らは諸々の言葉の適切な順序を捨てて、言ったことを曲げている。それは付加された読みから全ての者に明らかである通りであり、弟子たちはこう言わせられている。
「あなたは私たちにどこで過越の準備をさせるでしょうか。」
そして彼はそれに答えるべく
「私はこの過越にあってあなたと肉を食べることを熱望を以って熱望しようか。」
(同 30.22.4)
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