第九セレウキア信条(AD 358)

http://www.fourthcentury.com/index.php/the-ninth-confession-of-seleucia/

より。英訳からの重訳。


コンスタンティウス2世により召集されたセレウキア教会会議(AD 358、ペルシアでなく小アジアの都市セレウキア)で採択。「ホモイオス≒相似である」派の影響が強いと思われる。


[]内は邦訳者の注あるいは補足。


:::::以下訳文:::::


アンティオケアにおける献身的働きで公布された正統な信仰について、確かにその時、我らの教父たちが調査の要る特定の議題のために集まったというのに、それを提示しないなどということは我らは拒絶する。

ただ、「本質において相同[(ホモウシオス)]」また「本質において相似[(ホモイウシオス)]」[という語句]は、過去とこの日に至るまでの諸時代の多くの人々を困らせてきたので、またさらにある者たちは最近、御子が神に対して「相似でない[(アノモイオス)]」と[の語句を]考案したと言われているので、それらのゆえに、我らは「本質において相同」また「本質において相似」を諸聖句において見知らぬものであるため拒否し、一方で「相似でない」を我らは呪い、これを告白する全ての者を教会から見知らぬ者として数えることとする。

そして我らは、かの使徒に従い、はっきりと御子の御父に対する「相似[(ホモイオス)]」を告白する。彼は御子について「彼は見えざる神の似姿[(εικων)]である」(コロサイ 1:15)と述べている。


そして我らは一なる神、全能の御父、天と地の、見えるものと見えざるもの万物の造り主を告白し信ずる。


そして我らはまた我らの主イエス・キリスト、彼の御子、全ての時代の前に苦痛なく彼から生じた、言葉なる神、神よりの神、唯一の生まれし方、光、生命、真理、知恵、力[である方]、天に[あるもの]も地に[あるもの]も、見えるものも見えざるものも、万物が彼によって造られた方を信ずる。

我らは信ずる。彼は、世界の終わりにあって、罪の廃棄のため、聖なる処女より肉となり、人と成され、我らの罪のために受苦し、復活し、天に上げられ、御父の右に着座され、生者と死者を裁くため栄光のうちに再び来られるのである。


我らはまた、聖なる御霊、すなわち我らの救世主が弁護者と名付け、彼自身の旅立ちの後に弟子たちに遣わすことを約束し、まさに彼が遣わした方、その方によって、彼が教会のうちの、御父と御子と聖なる御霊の名を信じ、それにおいて洗礼を授けられた者たちを聖化するところの方を、信じる。


しかしこの信仰を差し置いた何かを告げ知らせる者たちを、公同の教会は見知らぬ者たちと見なす。そして皇帝聖下の認可において先にシルミウムで公布されたものはこの信仰と等価であり、読む者全てにとって明白なものである。

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