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東山魁夷展 描くことは祈り

先日、国民的日本画家である東山魁夷の生誕110周年を記念した展覧会にいってきました。

わたしは普段日本画はあまり見ませんが、たまたまチラシに印刷された『道』という絵を見たとき、そのあまりの美しさに息を呑み、仕事終わりに閉館ギリギリに展覧会に滑り込みました。
一枚の絵にここまで心打たれたのは初めてでした。
静謐な寂しさをたたえた青い風景をながめいてると、遠くに忘れていたかのような優しい郷愁や、東山が感じていたであろう孤独感がそっと胸に浮かび心を締め付けられます。
それでも『道』は伸びやかに遠くに遠くに進み、やわらかな陽光を受けた草木や青空が心強さを感じさせます。

また、戦時中相次いで肉親を亡くし、失意のどん底にいた東山が登った山の、山頂からみた景色である『残照』は展覧会の中で一番わたしの心を震わせました。
隆々とした山肌は幾重にも連なり、桜だろうか、遠くの薄桃色に色づいた山と、白んだ空の青と混じり合いっていきます。
自然は我々が悲しいときも嬉しいときもいつでもそこにあり、人がとうに叶わぬその美しさと力強さで圧倒しつづけます。
そして東山は「自然の中で人は生かされている」ということに気づいたのだそうです。
自然の中ではあまりにもちっぽけな人は、巡りゆく四季や自然の移ろいの中に生かされいるのです。わたしの小さな魂が喜び、震え、悲しみ、そして死に、またどこかに移ろい、肉体は燃やされ、骨は大気に溶け自然に回帰するように。

わたしは東山を想い、孤独な自分を想い、込み上げてくる感情と涙を堪えるのに必死でした。東山にとって描くことは祈りだそうです。昔から気持ちを言葉にするのが苦手なわたしにとっては文字を書くことがどこか祈りや救いのような気がします。
東山が晩年に描いた白い馬はわたしの人生ではまだ目にすることはできません。
それはわたし自身を許し生きることを許せたときに自ずと見えてくるのではないでしようか。そんな日が来ることをわたしは祈り続けます。


#東山魁夷展 #美術館 #エッセイ #日記 #ポエム

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