動画全盛期に、なんで私は書いてるんだっけ?
年末、久しぶりに会った友人から、少し衝撃的なことを言われた。
「最近、全然文字を読んでないなぁ。」
その言葉に一瞬驚きつつ、数秒後には「まぁ、そういう人が多いよな」と感じた。
確かに、最近は「動画の時代」と言われている。実家に帰ると、家族はテレビをつけっぱなしにしたままスマホを手に取り、TikTokやYouTubeで動画を次から次へと見続けている。もはや、日常の風景だ。
私は仕事柄、ライター仲間とのつながりが多く、Xを開けばnoteの更新情報や、メディアで書いた記事がタイムラインから流れてくる。そんな環境にいるからこそ、なぜ自分は書くことを続けているんだっけ?と改めて考えさせられた。
考えた結果浮かんだのは、文章を書くことは私にとって思考の整理ができる手段だということ。自分の考えを言語化して、文章を読むことで、思考の深まりを感じる。それは動画には感じにくいことだ。
ただ、書いて思考を深めるためには、「本音で書く」ことが大事だと思う。本音で書くからこそ、自分の本質めいたものに気づけるのかもしれない。もちろん、本音をさらけ出すには勇気が必要だ。
誤解されてしまったらどうしよう
変に思われたらどうしよう
という不安がある。ただ、2025年の私のテーマとして掲げた漢字「育」を実現するには、こういった感情と向き合う必要があると感じた。
一年後、今の自分の感情を振り返ったときに、「懐かしい!そんなことを思っていたなぁ〜」と感じられるようにしたい。そのためにも、動画にはない、文章を書くことで得られることを大切に、今年も私なりにつらつらと書き残していこうと思う。