教員になること
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は
教員になることへの私の思い
について書いていこうと思います。
以前の投稿で少しだけ
教員免許取得を諦めたことに触れました。
簡単にまとめると
教職課程の講義を受けるうちに
教員になりたくないという思いが大きくなり
そんな気持ちを抱えながら教員免許をとろうとしていることに精神的に耐えられなくなり
自律神経が崩壊してもう無理だと思って教員免許取得を諦めました。
学校に行けなかった時期は
「学校」を否定的に捉えることしかできませんでした。
そんな見方を持ったまま大学に入りました。
やりたいことも学びたいことも特になかったので
母に言われるがままに教職課程を受講することにしました。
母は「教員になるかならないかは別として、教員免許は潰しがきくからとっておきなさい」と言いました。
教員にならないのに免許を取る意味がわからなかったけれど、母の言う通りにしました。
なんのモチベーションもないまま
教職課程の講義を受け続けました。
最初の頃は面白い講義もありました。
教育とは何か?
先生の役割とは?
歴史や哲学の視点から「教育」を学ぶのは初めてで、知らなかった世界にワクワクしました。
年次が上がり
講義で扱うテーマが
生徒指導や学習指導要領になり始めると
だんだん講義を受けるのが辛くなってきました。
日本の学校教育は「普通」を量産し
「普通」でないものを切り捨てている
という実感が日に日に強まっていきました。
今のこの仕組みは私とあまりにも合わなすぎる
「不登校」という背景が
教員になることを拒絶しました。
自分自身、学校に行かなくなる前は不登校の同級生が理解できなかった。
「普通」から外れる人を糾弾する側だった。
いくら不登校を経験したからといって、そういう価値観が自分からきれいさっぱり消えたわけではありません。
そんな自分が「学校」という組織に入ったら
子どもたちを「普通」にはめ込もうとする
そんな未来しか想像できなかった。
自分がされて死ぬほど嫌だったことを
子どもたちにしてしまう未来しか描けなかった。
もう無理…というこころの拒絶を押し込めて
教職課程の講義を受け続けました。
こころを無視した結果
体が悲鳴をあげました。
食欲がなくなり
何を食べてもおいしいと感じなくなりました。
寝ようと思って布団に入りしばらくすると悪寒が走り動悸がし始めました。
死に向かうかの如く早まる鼓動。
どうしようもない不安に襲われ
一睡もできませんでした。
そんな状態が2週間ほど続き
一人暮らしは無理だと実家に戻りました。
こんなボロボロになった私を見て
母は渋々私の教員免許取得を諦めました。
さて、ここで何かお気づきになりませんでしょうか?
教員免許取得を諦めたのは誰か。
冒頭は主語が「私」
最後は主語が「母」
この投稿を書いていてつくづく
私っていままで自分で何か決めて実行するということをしてこなかったんだなぁ…
と思いました。
もう全てが母。
この投稿自体
母のやったことを責めるつもりで書いたわけではないけれど、全く責める意図がないといったら嘘になります。
まだまだ未整理だらけですが
とりあえずできるところまで言葉にしてみました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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