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行きたくない理由
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は
大学に行きたくない理由について
書いていこうと思います。
なぜこんなにも大学に行きたくないのだろう?
とにかく嫌だ。
では、何が嫌なのか?
パッと思い浮かんだのは2つのことだ。
ひとつは、人の中(とくに同世代)にいるのが嫌だということ。
もうひとつは、評価されるのが嫌だということ。
以下、順番に説明していく。
まず、人の中にいるのが嫌だ、ということについて。
大学にいるとすごくいたたまれない気持ちになる。なぜなら、周りと自分を比べてしまうからだ。
私はいつもノーメイクで機能性を重視した、つまり、お世辞にもおしゃれとはいえない服装をしている。それが心地良いからそうしているのだが、大学にいると「ちゃんとメイクしておしゃれしてないといけない」と感じるのだ。完全に主観だが、大学にいる人たちはほとんど、メイクしておしゃれにしているように見える。そんな中にいると、自分の在り方が不安になってくる。大学は「おしゃれは正義」という価値観が跋扈しているように感じる。「おしゃれ」にもいろいろあるが、私のいる大学の人たちは、雑誌的なおしゃれと、個性を追求したおしゃれ、どちらかに分類される「おしゃれ」をしているように見える。
1人でいるときや、街中にいるときはそんなに感じないが、大学にいるときはすごく「おしゃれにしていないといけない」と感じるのだ。でも、私はメイクもしたくないし、いわゆる「かわいい」服も着たくない。かといって、これが着たい!というようなデザインの服があるわけでもなく、持っているものを適当に組み合わせて着ている。そのような私の在り方は、大学においては少数派だ。そんな自分が他の大学生の中に入ると、なんだか自分だけその場から浮いているように感じて、居心地が悪い。
この感覚は、「ダサく見られたくない」と「そのままの自分でいたい」という思いの間での葛藤から生まれてくるものなのかもしれない。
次は、評価されることが嫌だ、ということについて。
なんというか、評価されるのが嫌だ、というよりは、そこまでそうだとも思っていない模範解答的な意見を、さも自分の考えであるかのように書いたレポートを出して評価されるのが、なんだか釈然としなくて嫌だ、という感じだ。
なら、そんなことせずに「自分の意見」を書けばいいではないか。そう思うが、なんだか受け入れてもらえないような気がして、それはつまり、いい評価をもらえないということでもあり、それは避けたいので、結局、人口に膾炙した、大多数の人が賛成しそうな意見を書いてしまうのだ。だから、レポートを書く度、自己嫌悪に陥る。なぜ、こんなありきたりなことを書いているのだろう、と。かといって、自分の意見を相手が納得できるように論理立てて書くこともできないと思い、時間的制約もあるからと言い訳しつつ、自分の意見ではなく、評価してもらえそうな意見を書くのである。
そうやって書いたレポートでいい評価をもらったとしても、実際、成績表には「秀」や「優」の文字が並ぶが、それは「仮の自分」への評価であって「自分」への評価ではない気がする。なんだか虚しくなってくる。評価されているのは「まこ」ではなく、「まこのチャットbot」のような感じだ。いくらそのチャットbotに「いいね」がついても、それを自分に対する評価だとは感じられない、というような。
高校時代、「成績」に価値を置きすぎて潰れたにも関わらず、大学に入っても相変わらず「成績」に囚われ、できない人を下に見ている自分と対面するのも気分が悪い。
とりあえず、上記2点が、すぐ思いつく
いま、私が大学に行きたくない理由である。
最後までお読みいただきありがとうございました。