不登校と心療内科と
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は私と心療内科とのお付き合いについて書いていこうと思います。
初めて心療内科を受診したのは、中3の秋でした。
中2のときの部活動でのゴタゴタ
中3のクラスでの友達関係
さらに学級崩壊気味のクラスが重なり
ストレス満載で疲弊していた私をみかねて
母が連れて行ってくれました。
その心療内科
院内の雰囲気はよかったのですが
先生と5-10分くらい話して終わり。
あとは薬が処方されるだけ
という医院でした。
その薬を飲んで
たしかに抑うつ感が和らいだ気もしました。
でもそれ以上の何かはなかったし
精神的な苦しさ、辛さはそんなに変わらなかった。
半年くらい通いましたが
健康オタクの母が処方薬のことをいろいろ調べて
副作用が気になるとのことで
大学病院の心療内科に転院することになりました。
転院したのは
高校に入学して
一週間で行けなくなってちょっと経った
という時期でした。
転院先の心療内科では
カウンセラーと話す時間→診察
という形をとっていました。
最初のころはどこにも行きたくなかったので
母に無理矢理連れ出されるような形で通院していました。
誰とも話したくなかったので
カウンセラーとも話が続かなかったです。
話したいことは
とても内面的なことなので
話したいけど話せない
という状態が続きました。
それから
沈黙が続くと
「何か話さなきゃ」
という思いに支配されて余計に話せなくなっていました。
でも
カウンセラーは沈黙をとても大切にしてくれました。
ずっと待ってくれた。
そして
ようやく紡ぎ出した
私の言葉を受け取ってくれた。
そういう体験が積み重なり
私はカウンセラーに
次第にこころを開いていきました。
カウンセリングは話したいだけ。
話せないときは5-10分くらいで終わるし
たくさん話したいときは30分以上話したこともありました。
いま振り返ると
無理矢理でも連れ出されて
カウンセリングを受けてよかったと思います。
ありがとう、母。
とにかく
話したいんですよね。
自分のことを。
でも
受容れてもらえないかもしれない
もし受容れられなかったとき傷くのは嫌だ
という思いから
身近な人には話せない。
身近だからそこ話せない。
そんなときに
思い、感情、思考を外に出せる場がある。
これ、とても大事です。
私は身をもって実感しました。
自分すら自分を受容れられなかった時期に
他者から無条件に受容れられる時間を持てたこと
ほんとうに幸運だったと思います。
母にこころの病気についての理解があってよかった。
不登校状態のとき
ほんとに最悪な親だと思っていたけれど
その点だけは感謝してもしきれません。
今日も徒然なるままに筆を走らせました。
何か得るものがあれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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