心の死と体の死
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は、私なりに考えた自殺に至るまでに当事者の内で巻き起こっていること、について書いていこうと思います。
※内容が重大かつ深刻なうえ、かなり生々しい表現も出てきますので、つらくなりそうな方は読むのをお控えください。
このことについて考えていくにあたって、まず、死を2つにわける必要があります。
「心の死」と「体の死」です。
この過酷な現代社会において、心が死んでしまっている人がたくさんいるように感じるのは、私だけなのでしょうか…?
それはおいといて。(おいておけるほど小さな問題ではないのですが…)
まず、私自身が何度も自殺しそうになっていた、ということをお伝えしておきます。
以下に書いていくことは、頭の中だけで考えをこねくり回したわけではなく、実際に死にとり憑かれた経験からの実感に即したことです。
では、始めましょう。
自殺は、体の死をもって完結します。
手首を切ったり、首を吊ったり、川に飛び込んだり、電車に飛び込んだり・・・
でも、体が死ぬ前、そのずっとずっと前に、心はすでに死んでしまっているのではないか。
そう思うのです。
私が初めて死のうと思ったのは、16歳のときでした。
1週間で高校に行けなくなって、学校に行けない自分を責めながらまるで地獄にいるかのように1日1日を消化していました。
絶望感、自責感、無価値感、自己否定感・・・
それは容易に、私を「死」へと誘導しました。
私はどうすれば死ねるか考えました。
手首を切るのは痛い。
電車に飛び込むのもさらに痛い。
しかもたくさんの人に迷惑をかける。
痛いのは嫌だ。
両親に申し訳ない。
結局、私は、何もしませんでした。
たぶん、このとき、私の心は死んでいかなった。だから、手を下せなかった。
紆余曲折の末、私は大学生になりました。
地獄の日々は静かに、しかし確実に続いていました。
私はそれを、見ないようにしていた。
それは、直視するには、つらすぎた。
私は、心を麻痺させました。
いや、麻痺させたというより、心が、自分を守るために、自ずから無感覚になりました。
21歳の6月、ついに、心が停止しました。
それは、まるで、死んだ人の心電図のようでした。ほんとうに、その表現がぴったりでした。
ただひたすら、起伏のない一本線。
上にも下にも振れません。全く。
そのとき、偶然、自死についてのイベントがありました。もう無気力で何もする気になれなかったので、参加しようか迷いました。めんどくさい。でも、コロナ禍でオンラインで参加できる。それならと参加することにしました。
そこで、今、まさに死にとり憑かれている、という気持ちを吐き出しました。そこにいた人たちは、それを受け止めてくれました。私は救われました。
23歳の2月、私は、また死に包まれました。
高校のときのことを整理していたら、当時の苦しみやつらさを追体験することになってしまい、死の谷に突き落とされました。
もう、何もかもがどうでもよくなりました。自分なんてどうでもいい。セルフネグレクト状態でした。心は死に向かっていました。散歩すれば、いつのまにか車道に体が吸い込まれていくのです。そう。いつのまにか。
微かに残っていた理性が「これはヤバい」と警報を鳴らしました。私は引きこもりました。自分を守るために。
私が、今、こうやって生きているのは、偶然、ほんとうに偶然、死の谷の底にいるときに、そこへ梯子がおろされてきたからです。
生きたいなんて、思っていなかった。
でも、死にたいとも、思っていなかった。
とにかく、この苦しみを、このつらさを、終わらせたかった。
私はたまたま生き延びただけです。
運と縁と偶然の連鎖によって。
「死ぬほどつらい」は比喩に留めさせておかなければならないのです。実行させては。実行することでつらさを証明しようとさせては。絶対に、ならぬのです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
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