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伝えたいこと

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
投稿を通して伝えたいことについて
書いていこうと思います。

最近、いや、今年に入ってから
投稿の締めに悩む。
なぜ悩むかというと
投稿の内容を一言や一行でまとめられないからだ。

投稿を始めた頃は、伝えたいことがあって
それに行き着くように内容を整えていた。
しかしながら
伝えたいことがそんなにたくさんあるわけでもない。
せいぜい5個くらいだ。
その5個を手を替え品を替え書いているような気もする。

書いていると
あれ、これ前書いたのと内容被ってね?
と思うことも多々ある。
事例は違っていても、その事例から伝えたい思いは同じなのだ。

最近は、そのほとんどが
母の悪口か
母への要求か
母への責任転嫁
であることもよくわかっている。

わかっているがそれを止めることもしない。

母を悪く言うのは
母のせいにしている自分を綴るのは
とてもつらいことだ。

だが、これが今の自分なのである。

「母のおかげで今の私がある」
「いろいろあったけど母に感謝している」

そう書くこともできる。

でも私はそうしない。
だってそんなこと思っていないから。

そう言うのは簡単だ。書くのも簡単だ。

それを期待している読者もいるのかもしれない。
申し訳ないが、今の自分にそれはできない。

思ってもいないことを書いて
さも不登校は片のついたことだと見せかけるのは私の本意ではない。

私は「不登校」のひとつの”リアル”を見せたいのであって、「不登校」から立ち直った私を見せたいのではない。

いろいろな出逢いがあって世界が広がったのは確かだ。
だが、投稿という名の振り返りを通して気づいたのは
環境がかわっただけで、私自身は「不登校」の頃からそれほど変化していない、ということだった。
その事実に気づくまでに3ヶ月かかった。

伝えたいことを伝え尽くした後
伝えたいこともないまま
記憶を手繰りよせ、甦らせ、辿り、振り返り、思い出し、ほじくり返し、引っ張り出し
を繰り返した。

そしてそれらをそのまま綴った。

こんな出来事があってこう思った

私が綴るのはそれだけだ。

綴る全てが伝えたいことであり
それをまとめるのは難しい。
無理にまとめようとして、実際そうしていたこともあったが、ひと言や一行ではいろいろ零れ落ちてしまうのだ。

私はまとまらない「不登校」を生きている。

まとめたいのか、まとめようとしているのか
はたまた、まだまとめたくないのか
もはや、まとめなくてもいいと思っているのか
それはわからない。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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