理想の母親像
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は
私にとって理想の母親とは何だったか
について書いていこうと思います。
母親ならお腹が空いたらすぐご飯を作ってくれる
母親なら部屋をいつもきれいにしている
母親なら食事の後片付けをすぐやる
母親なら洗濯物を溜め込まない
私にはたくさんの
「母親なら○○するはずだ/して当然」
がありました。
それは母の愛情度を測るものさしでもありました。
そしてそのどれもが母には当てはまりませんでした。
そのような価値観がどこからやってきたのか定かではありません。
そのうちのいくつかは父が母に言っていたことでした。
テレビに出てくる「ママ」と母を比べたこともあったかもしれません。
知らぬ間にできあがっていた「理想の母親像」。
それを母に当てはめては落胆するということを私は繰り返していました。
なんでお母さんはやってくれないんだろう
私のこと愛していないんかな
「理想の母親像」に当てはまらない母を見つけては「やっぱり母は私を愛していないんだ」という思いを強くしていました。
「理想の母親像」というありもしない幻想を追いかけて、自分で勝手に傷ついていたのです。
母に直接「なんでしてくれないの?」と不満をぶつけたこともありました。
私から見た母は「ぐうたら母さん」でした。
育児放棄だと思ったこともありました。
他の家のお母さんはきっとちゃんとしている
そんな確信めいたものもありました。
実際に見たわけでもないのに。
もしかすると
「母は私を愛していない」
そう思いたくて母の粗探しばかりしていたのかもしれません。
なぜそう思いたかったのかは不明ですが…
なんとなくそのような気がするのです。
母への不満の源は
「理想の母親像」と実際の母の乖離にある
それに気づいたのは大学生になってからです。
大学でジェンダー学に触れたのが気づきのきっかけだったのかもしれません。
そう気づいたとき、母を苦しめていたのだろうなと申し訳ない気持ちになりました。
まあ、気づいたからといって母への不満がなくなったわけではないのですが…
それでも、気持ちはかなり楽になりました。
いつのまにか出来上がっていた「理想の母親像」
それは私も母も苦しめていました。
気づけてよかった
最後までお読みいただきありがとうございました。