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教えられたようにしか教えられない

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
母と接して思ったことについて
書いていこうと思います。

私は全然親から褒められたことがなくて嫌な思いばかりしてきたから
自分が親になったら褒めて育てようと思っていままでやってきた

母はよくこう言いました。

母には9歳上の姉がいます。
母はその姉と比べられて育ったそうです。
何を比べられていたのか母は語らないので憶測ですが
「お姉さんは○○できるのに、お前はどうしてできないんだ」
というようなことをずっと言われいたのだと思います。
母はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
9歳も離れているんだから、姉の方が優れていて当然ではないか、なのになんで比べて私を非難するんだ。
そんなふうに思っていたのかもしれません。

そんな経験から、母は私を育てるとき、意識して褒めようとしていたそうです。

しかしながら、悲しいかな
私には母に褒められた記憶がほとんどありません。しかも数少ない褒められた記憶は全て学校の成績に関することなのです。

さらに悪いことに
褒められた記憶ではなく比べられた記憶ばかりが残っています。

私は1人っ子です。
母とは条件が違います。
家庭内に比べる対象がいません。
では、誰と比べられていたか。
私と同い年だったときの母の友達です。

母と一緒にごはんの準備をした後
「私が手伝って助かるじゃろ?」
と私が期待を込めて問うと、母は
「私の友達は3年生の頃から朝ご飯自分で作っとったよ」
と返すのです。

予想していた答えではないどころか
お前はまだまだだ、みたいに言われて
とても悲しかったし腹が立ちました。
なんでそんな過去の人と比べられなければならないのか、意味がわかりませんでした。

この他にも、母が友達を比較対象に持ち出すことはよくあったように思います。
そういうことが何度か続いた後、母から冒頭のような話を聞きました。

私は思いました。

育てられたようにしか
育てることはできないんだな



そして、妙に納得してしまいました。
母はそういうふうに育てられてのだから、私への対応がそれを反映するのは仕方のないことだ。
そして、皮肉なことだとも思いました。
自分が母からされて嫌だったことを自分の子どもにはしないように意識していたのに、それが全然伝わっていないどころか、母が子供のころに感じたことと同じことを私は感じている、ということが。

いくら母が褒めて育てたと主張しても、私の記憶は変わりません。
私の中に残っているのは、褒めてもらえるはずのところで比べられて傷ついた、という記憶ばかりです。

この負の連鎖
どうやったら断ち切れるのでしょうね…

最後までお読みいただきありがとうございました。

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