父と私
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は
不登校状態のときの父との関わりについて書いていこうと思います。
当時の父との関わりで覚えているのは
朝の格闘と父の昔話
この2つだけです。
学校に行けなくなった最初の頃は
父も母と一緒に
「学校に行け」
と言ってきました。
できるできる
行ける行ける
なんとか私を学校に行かせようと
応援というか励ましというかそんな感じのことを父はやっていました。
といっても父は6時半に家を出るので
それ以降は母との闘いでした。
いまでも印象に残っているのは
父に昔話を聞かされたことです。
どういう意図でその話をしたのかいまだに理解できませんが
たぶん
辛いことは乗り越えられる
人生辛いことばかりじゃない
ということを伝えたかったのだろうと思います。
内容はというと・・・
父(72)は4.5歳の時に父親(私からいうと祖父)を亡くし、母親(私からいうと祖母)が女手ひとつで父たち4人兄妹を育てた。
当時は、シングルマザーへの偏見・差別が根強く、小学生のとき、そのことで同級生にいじめられた。
とても辛かったけれど、「なにくそ」という思いを原動力に頑張って生きてきた。
という感じでした。
正直
この話は
負担にしかならなかった。
当時の私は
「お前より辛い思いをしている人はたくはんいるんだから、そんなことで悩むな」
というふうにしか受け取れなかったのです。
何にどれだけ辛さを感じるかは人それぞれ違うので、辛さを比べるのはナンセンスだと思いますが
父のいじめられた経験
と
私の不登校の経験
どう考えても父の経験の方が辛い
と当時の私は感じてしまいました。
そして
なんでこんな小さなことで悩んでいるんだろう
という自責の念に苛まれました。
ついでに
いじめられてもいないのに
なんで学校行けんのんやろ?
という思いにも駆られました。
自分が学校に行けないのは
甘え、わがままなのではないか。
いじめられていても学校に行っている人もいるのに、自分は行けていない…
父の話は
ただただ
私に自責の念を植えつけるばかりでした。
親の自分語りとかほんといらん…
それ聞かせてなんになるん?
辛さ倍増やわ…
子どもからは以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。