不信
どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。
今日は
両親への不信感について
書いていこうと思います。
両親が私の存在を歓迎していると
いまいち思えない自分がいる。
そう思う一因は
私の誕生や生い立ちについての両親の語り口にある。
両親にとって私の誕生は
感動や喜びではなく心配と不安で始まっている。
私は帝王切開で生まれた。
胎便をして危険な状態になったからだ。
この話はよくきかされた。
主に父から。
出産予定日は祖父の命日だったけど、
お母さんのお腹の中が居心地よすぎてなかなか出てこんで、最終的にお腹の中でうんちしてしまって息ができんくなって苦しくなった
ざっくりいうとこんな感じだ。
父はいつもこれを語るとき
「お前お腹の中でうんこしたんよ、うんこ笑」
みたいな感じなのである。
すごく不愉快だ。
なんだか私が軽んじられているように感じる。
私の誕生は笑いのネタなのか?
いつもそこに重点が置かれているように思う。
なぜ娘に語るのが
誕生の感動や喜びではなく
その部分なのか。
一回でもいいから
「生まれてきてくれて嬉しかった」
と言ってほしかった。
母からは、小さい頃からずっと、地元(母から言えば嫁ぎ先)の不平不満を聞かされてきた。
こっちに来てから喘息になった
地元と正反対の環境、不便
いつまで経っても慣れない
ここでは自分を出せない
私にとってはここが地元である。
それを母からディスられていい気はしない。
「私の不幸はここに来てから始まった」
母の語り口はそんなふうなのである。
私は地元が好きだ。
もちろん母も好きだ。
しかし母は私の地元をひたすらディスってくる。
母の好きでないものを好きなことに
私は罪悪感を覚えた。
あっちを立てればこっちが立たず。
ふたつの「好き」に引き裂かれるようだった。
そしてそれは、間接的には父に対するディスりでもあった。
父の地元であり私の地元でもあるこの土地のあれこれをディスりまくる母。
ならなんでここに居続けるんだ?
私のためか?
それなら私は母の足枷ではないか
この他にも両親は、私の誕生や生い立ちについていろいろ語ったが、そのほとんどが私にはどこか嘲笑的で否定的に感じられてしまうのだ。
もしかしたら良いことも語っていたのかもしれないが、私の記憶と印象に残っているのはそればかりなのである。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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