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不登校と医療

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
不登校と医療の類似性について
書いていこうと思います。

不登校の子どもとその親の関係性って、患者と医者の関係性に似ている

マンガ『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(二宮敦人原作/八川キュウ漫画)の一場面を読んで、そう思いました。

このマンガは、医者仲間から陰で「死神」と呼ばれる医者、桐子が主人公の物語です。「患者の生への希望を叶えるのが医者の務めだ」という価値観が支配する病院に勤める桐子は、むしろ「間近にせまった死を受け入れることこそ患者が最期の時間を自分らしく生きることに繋がる」という信条をもって患者と対峙します。

私が、不登校と医療の類似性を感じたのは、働き盛りで末期ガンになった会社員がエピソードの中心人物となっている回です。
そこに、「自分の人生なのに自分以外の人たちが決めていっていて、自分の人生を生きている感じがしない」というような台詞が出てきます。

この部分を読んだとき、これは学校に行っていなかったときに私が思っていたことと同じだ!と思いました。まるで、そのキャラクターが当時の私の気持ちを代弁してくれているかのようでした。

なぜ、同じだと思ったのか。

自分がよく知らない分野のことについて、自分より自分の状態をわかっている、自分がこれからどうなっていくのかわかっている(ような気がする)人から、否定的、悲観的な形で「このままだと、将来あなたはこうなります。これを回避するためにはこうするのがよいでしょう」と言われると、釈然としないけれど、自分はそのことについて知識も経験もないから反論もできないし、なんだか従わざるを得ないような気がしてくる。

自分の気持ち(意志とは違う)と関係なく将来のことが決められていく。自分はそこに何も手出しすることができない虚しさ、決めなければならない時が刻々と迫ってくることで感じる焦燥感、自分のことなのに自分ではどうしようもできない無力感、結局結末は変えられないという絶望。しかも、自分の思いより家族の思いのほうが優先されたりして、自分の人生なのに自分が一切関わっていない感、自分の人生から自分自身が取り残されている感覚。

いつのまにか休学手続きをしていて、いつのまにか通信制高校に編入することになって、いつのまにか大学受験することになった

そこに出てくる会社員の姿が、当時のこんな自分とピッタリ重なりました。

自分の人生が自分の目の前を通り過ぎて行くような。自分なしで自分の人生が回っているような。そんな感覚をその場面はうまく表現していました。

興味を持たれた方はぜひこのマンガを読んでみてください。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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