真の価値は、去り際に。
男の真の価値は去り際でわかる。
というのが私の持論であるが、それ、本当。
実際、別れのシーンにあたって「あぁやっぱり! あいつと付き合わないでホントよかった……」と自分のナイス判断にドンと太鼓判を押すこともあるし、「いい去り方だ。相性や生きる道が違ったけど、いいヤツだったな……」と、ままならない人生を切なく思うこともある。「ええい、女々しいヤツめ!」と、去っていく背中に後ろから走りこんで蹴りを入れたくなるときもある(実行した場合、私の去り際こそ完全にアウトになる)。
去り際。
何も男だけではない。女も同様であるが、人を知るうえ、他人の生き方から学ばせてもらううえで、とても大切な瞬間だと思う。恋愛の別れだけでなく、離職でも、離別でも、死別でも、何にでも言えることだ。
本来なら「ありがとう!」「バイバイ!」と、これら二つをシンプルに表現するだけのはずだが、心の中がシンプルでないと、なかなかどうして、そんなに簡単にできないのが人間の面白いところ。
そして、そんなたった二つの表現なだけなのに、泣きたいほど人の心を打つことがあるのも、人生の深淵をうかがわせる場面である。
一般的に近々な例でいえば、サッカー日本代表のロッカールーム。「ありがとう」と「バイバイ」の象徴的な写真であった。ラストライブで何度も何度もアンコールがかかっていても、二度とステージに戻ってこなかった安室ちゃんの去り方はお見事。最後まで女優業を務め、まったくブレずに自分の生き方をシンプルに貫いた樹木希林さんの去り方は天晴れなのである。
よくよく考えると、人との別れ方なんて誰にも教わってないからこそ、その人生観が現れる瞬間なのだと思う。
反対に、別れ方に不器用な人もいる。
未練、執着、損得勘定、恨み、不安、期待などにまみれて、なかなか動き出せないのだ。
そして物理的に、たとえば死が近いだとか、クビや左遷だとか、別れ話だとかで、否応もなく強制的に別れなければならないとき、彼らはこれらの渦巻くネガティブな感情をなんとも器用に表現していきながら去っていくことが往々にしてある。
これも、とても興味深いことである。
仕事を回して欲しいだとか、コイツと付き合っているといいことありそうだとか、自分の女にしたいだとか、損得勘定で動いていた人は見返りがないとわかった時点で、それはそれは見事に立ち去る。
何らかの爪痕を残して去っていく人もいるし、これ以上の長居は無用とエネルギーを少しもかけないで去っていく人もいる。その去り際の鮮やかさは、
「ひどいわッ! やっぱり、あたしのカラダが目的だったのね!」と、こちらが言い返す暇もない。
置き土産として残るのは、自分のことを好きで親切だったわけではない、というその後味の悪さ。結局彼らは何らかの「期待」をして行動していた、ということ。それは打算だったというわけだ。
人間、他人に期待するほど迷惑な話はない。「期待」はイコール「見返りの要求」だからだ。
また、明日の自分に自信が持てない人は、往生際が悪いことが多い。手放すことに恐怖を持っていて、別れられないでいるのだ。手放した未来において、今以上の状況に復活できる自信がないので、現状に固執してしまっている。
恋人やパートナーと別れられない人は、それは「愛情」なのか「執着」なのか「利害関係」なのか、そうではない理由があるのか、よくよく考えるべきだと思う。本当に嫌な仕事を辞められない人も、「損得勘定」なのか「将来への不安」なのか「自信のなさ」なのか、別の何かがあるのか、見定めておいてもいいのではないか。自分の感情を整理するだけでも、少し自分の動くべき道が見えることもある。
そして「今以上の状況」って何だろうと、もう一度考えたい。今以上も今以下もない。よくも悪くも人生、今は今だ。何かを基準にして、以上や以下をつけるなんてナンセンスなのだ。それよりも、常に幸せを掴む自分を信じて歩き出すと自分をもっと好きになれるし、英断をした自分に自信が持てるようになるのでは、と思うのだ。
そして「死」ばかりは明日に期待ができない、本当に真価が問われる場面である。だが、そんな死を目前にした状況でも、残された毎日を健全なマインドで力の限り生きた人には、尊敬の念をもって惜しみない拍手を送りたい。
老いも若くも、だんだんと別れが見えてきたときこそ、本来の自分が露呈する。やがて自分の本性を覆い隠す体力もなくなる。そして現実問題、認知能力が低下するときに、本当の自分がそっくりそのまま出てきてしまう。
認知症と言われながらも、いつも「ありがとう」を欠かさない可愛らしいお年寄りや、混濁した意識の中でも優しさに溢れている人は、素晴らしい人生だったのだなと思う。
しかし一方、愚痴しか言わないで感謝のないお年寄りや、疑心暗鬼な人や、この期に及んでお金の話ばかりする人。あるいは子どもや親戚、知人から取れるだけのお金をむしるように集めては、治る見込みのほぼない自分の治療に大金を費やすお年寄りなどを見ると、自分はそこを目指しているのではないなぁと思う。
そんなときこそ、感謝の念に溢れ(つまり「ありがとう!」)、そして生に執着しないで(つまり「バイバイ!」)、シンプルに人生を終えたい。
……できるかな、私に。難しい最後の宿題だ。
かくいう私も若い頃は、適当な嘘を言ってバイトを辞めたり、積年の恨みをブチまけてから仕事相手と手を切ったり(だってやめると言ったら、喧嘩をふっかけて来たんだもーん)、「お姉ちゃんは今、いません」と電話で妹のフリをするという姑息な小芝居を打って逃げ回ったりと(バレたと思う、それから連絡が来なくなった)、とっ散らかった去り方をしたことが何度もあるのだ。今回、自戒の念を込めてこれをしたためている。