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「野球が楽しかったのはプロ3年目まで」と、イチローは言った。
(前回の内容に引っ張られ、今さらですが、イチローの引退会見の続き)
「野球が楽しかったのはプロ3年目まで」と、イチローは言った。
やっぱりそうか。
というのが、私の心の第一声だ。
子どものサッカークラブのコーチだった、元日本代表だった人も「楽しかったのはプロになってほんの数年間まで。きっと自分が成長しているときだったんだと思う」と言っていた。「残りはもう、ひたすらどう自分とうまく向き合っていくかしかなかった……」と。
そうかもしれない。
そりゃ誰だって伸びているとき、進歩しているときは楽しいよね。右肩上がりのその急上昇を経て、プロとして通用するレベルになって、なだらかな線を描き始めているとき。興奮も緊張も喜びもそうしょっちゅう訪れないのはよくわかる。スポーツ選手だったら、長年の疲労の蓄積や怪我といったマイナス要素も背負い込むから、なおさらだ。
私も編集部に入りたてで、少しでもたくさん吸収したい、たくさん書くチャンスをもらいたいとガムシャラに走りまわっていたときの、ワクワクした気持ちを思い出す。先輩たちを捕まえては自分の記事を読ませて「どう思うか感想を述べよ」だとか、自分できったラフ(雑誌におけるページ内の割付)を見せて「これ以上に見やすいラフはあるのか」などと、生意気なことを繰り広げていた。あの頃には、悔しいけれども二度と戻れないのだ。
仕事ではないけれども、よく恋人をコロコロと変えたがる人というのは、そういうワクワクを追い求めているのであろう。人間の発情期感も3年というから、なかなか「3」というのは感慨深い数字である。
そんな停滞期、周囲に足を引っ張られても、ひたすら仕事を続ける。
ひどいクライアントがいても、ひたすら自分のベストを出しに行く。
売り上げが落ちても、できる限りの道を探りにいく。
仕方がないんだ。自分が一番「得意」なのはこの技術なのだから、これを磨いていくしないんだ。神様が与えてくれた「ギフト」はこの技術なのだから、頑張ろう。……と、諦念とでもいうのだろうか。そこに立ち戻る。
もちろん会社を変えてもいい。職業を今のと180度違うものに変えてもいいのだけれど、いい加減、何年も生きてきたから自分の得手不得手はわかっている。だから、自分ならできそうな、得意なものをまた再び磨くしかないのである。その道程は、また同じなのである。
「好き」なら「楽しい」ならその仕事を選ぶべきだ、と私は思う。でも、いつまでもその蜜月は続くわけではない。「好き」や「楽しい」はその技で食べられるぐらいに自分の腕を押し上げてくれる「ブースター」にしかならない。だからこそ、好きじゃないと上達はなかなかしないのだけれども。
趣味で一人でやっているぶんには、構わない。でも、仕事で自分以外の人と、つまり社会と仕事をしていくぶんには、摩擦や嫌なこともたくさんある。でも、もう「得意」になってしまったのだから、やると言ってしまったから仕方がない。
仕事を選ぶというのは、「覚悟」を決めることなのだから。
あとは自分の自分自身の中にしかわからない「達成感」や「満足感」のために、ひたすら働く。その「得意」な技術で持って、世の中に愛情表現をしていくしかないい。
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