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どうしても嫌いな人対策・その1(現場編)
顔を合わせると、どっと疲れる人がいる。どっとね。
その人が視界に入ってくると反射的に体も心も固くなる。そして頭の中で、私、40代のおばさんはスッ……と軽くファイティングポーズ。何、戦うわけじゃない。どんなジャブでもストレートでも右へ左へと避けられるように身構えるのさ。頭の中では、トッ、トッ、トッ、トッ、と右へ左へ軽快にステップを繰り返す。
そう。誰にでもどうしてもお付き合いしなければいけない人がいるものだ。立場上、逃れられないのがこの渡世。例にあげれば、親、親戚、上司、同僚、部下、ママ友、お隣さん……などなど、イロイロ(……トッ、トッ、トッ、トッ……)。
情報量で周囲を制したいのか、他人の不幸やゴシップを意気揚々と発信し続けている人。悪口やネガティブ発言で、いちいち周囲をざわつかせる人。数ミクロンでも上の段に立ちたいのか、やたらマウントしてくる人。極端に臆病な自分の心を隠すべく、すべからく攻撃的な人。自分だけが正しいと思っている排他的な人……。挙げだしたらキリがないけどね。
彼らはどうにもこうにも私と日々心掛けていることや価値観、常識が違うので、隣で話を聞いているだけでも驚いてしまう。なのにさらに困るのは、私が標的にされたり、マウントされたり、否定されたりするから、こちらも身構えてしまうのだ(……トッ、トッ、トッ、トッ……)。
そう、逃げられるのならば、とうに逃げているさ!
しかし最近、ここで自分に言い聞かせていることが一つある。
昔の私ならば、「馬鹿は放っておこう……」と考えてその場をやり過ごしていた。その人を軽蔑することで切り離し、自分の立ち位置を高くすることで心の平安を得ていたというわけだ。
軽蔑。つまり劣った者だと馬鹿にするという行為は、私が苦手とする上記の人々がやっていることと同じなのだ。
決して、決して。その人を嫌いでもいいが見下してはならない。単にその人の常識と私の常識が違うだけなのだ。
さっとパンチを素早く交わして、「オイオイ、今日も元気に打ってくるねぇ」と流すのがコツだ。上段へシフトするんじゃない。華麗なステップで左や右へシフトするのだ。
私は思うのだが、このようなネガティブな人たちは自分を愛せていない場合が多い。まぁ、自分を愛せていたら他人も愛せるよね。自分を認められたら他人も認められる。
彼らは彼らで彼らの心の平安を得るために、上記のことを繰り返しているのである。トラウマだったり満たされらない自尊心だったり、自信の欠如だったり。それらを補うために、数々の私だったらやらない行為をしているのだ。と、私は勝手に推察する。
だから、嫌いな人のネガティブパンチをまともに食らったときは、「きっとこの人はリハリビ中なんだな、心の平安を得るために」とフラットに思うようにしている。「いつか自分のネガティブさに気づくといいね」と。
同情もない。軽蔑もなく。何の感情も入れず。
そしてなおかつ余裕があれば、相手の別の部分も探してみる。
自分の常識と違うから嫌なのだ。自分と共感できる部分や似ている部分、尊敬できる部分を探してみると、相手に対しての嫌悪感が少し中和されるかもしれない。だって、たいてい私も相手の嫌なところばかりに注目していてバランスを欠いているのだから。一極集中は私も全体を観れていないということ。
まぁ、とにかく、嫌い嫌いオーラは相手にも届く。その気配は、さらに相手の行為を刺激して拍車をかけてしまう。嫌なところばかりに気持ちを集中しないよう心掛けるのは、アリだと思う。
本当はこちらもファイティングポーズはいらないのかもしれない。「明日のジョー」のように両腕ブラリ戦法で、なおかつスッとパンチをかわせればカッコイイ。
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