「文章を書く」を考えてみた。
私は本当に文章を書くのが苦手なのだろうか?
得意ではないにしても、明らかに不格好な文章を目にすれば、そうと分かる。ならば、文章について知識が浅いとかの問題ではない気がする。ひたすら「文章の型」の勉強をしたり、接続詞の勉強をしたりしても、一向に描けるようにならないのは当たり前で、努力のベクトルが間違っていたのだ。
そもそも「文章を書く」とは、どのような行為なのか。それを明らかにしないことには、何をどう頑張ったらいいのかが分からないままになってしまう。
まず、「文章」とは何だろう。Googleの検索結果によると「文を連ねて、まとまった思想・感情を表現したもの」とのこと。つまり、文章とは「思想や感情を最適な形で言語化したもの」だと言える。
つぎに、「書く」を調べてみる。「文明化した人間が手(特別の場合に口や足)を用いて行う基本的行為であり、知識、感情、思想などを内容とする情報伝達と密接な関係をもつもの」とのこと。
このことから、「文章を書く」というのは「思想や感情を最適な形で言語化し、それを伝える行為」なのだと考えたい。
なるほど。どうやら「文章を書く」ためには以下の能力が必要になりそうだ。
「思考力」=思想や感情を自覚するために必要
「語彙力」=最適な形を与えるために必要
「構成力」=伝えるために必要
私は「語彙力」や「構成力」を鍛えることにばかり目を向けてきた。しかし、それが間違いであったことが明らかになった。
「文章を書く」ためには、大前提として思想や感情がなければならない。それを自覚するためには「思考力」が必要となる。これがないと、映画を鑑賞しても小説を読んでも、「面白かった」という感想しか出てこないのだ。
低学年の小学生がインタビューされて、「たのしかったー」「こわかったー」という感想しか述べられないのは、思考力がまだ発達途中であるからである。
なにが怖かったのか、それがなぜ怖いのか、どのように怖いのかを、自問自答するだけの能力が足りていないため、それを自覚することができない。ゆえに言語化することができないのである。
つまり、どれだけ「語彙力」や「構成力」があっても、「思考力」がなければ「文章を書く」ことはできないのだ。そして、これこそが私の課題だった。
私は、自分がどのような感情を抱いているのかを自覚する能力が足りていない。映画を見てもなぜ面白かったのかが分からないのである。
なので、この「思考力」を鍛えていこうと思う。何をすれば「思考力」を鍛えることができるのか、もう少し考えてみよう。何かいい方法があれば、ぜひ教えてほしい。
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