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ある曲を好きとか嫌いとか思えるの自体、十分「音楽性」なんだ

 この記事は「楽器が演奏できなくても音楽は楽しめる🎶 私も楽しんでるよ🎶」という内容ではなくて、「筆者が音楽性のない人間だからこそ気づいた『これも音楽性なんだ』」についてを書き記すものである。

 突然だが、私には音楽性がないようだ。
 ここで言う音楽性というのは、音楽を奏でる能力や歌を上手く歌う能力のことではない。それもないのであるが、それ以前に、自分の意思で自分の聴く曲を取捨選択する能力──ある曲を自分なりのセンスで好きとか嫌いとか思う感受性が乏しいのではないかと思ったのだ。

 そう思うに至ったきっかけは、昨日親友とカラオケに行ってきたことだ。昼フリーで10時から19時まで滞在した。浪人生の分際で、平日の昼間に歌い明かした。
 久しぶり(※11日ぶり)の他人とカラオケ。ただの知り合いとのカラオケであったら、TPOを弁えて無難な曲を入れただろう。今回は親友とである。初手こそ抑え気味に「God knows…」だが、2巡目にはもう箍が外れた。点数に拘るつもりも順番を厳密に守る気概もなく、相手が入れた曲が歌えそうなら無断で乗っかり、ハモり、90点を超えるとスクショした。歌いたい曲として挙げていたものは昼飯のパーティポテトが来るまでには大体歌ってしまった。
 カラオケフリーは長い。思ったより長い。9時間を持たせるだけのレパートリーもなく、間もなくして同じ曲をリピートする局面に入った。
 私は他人とのカラオケでお茶濁しソングとしての十八番候補に据えようと思っている曲(具体的な曲名を挙げると本当に好きで聴いている方に失礼だろうから自重する)を。親友も同じような趣旨で無難な曲の練習をしていた。
 世間的にカラオケで歌って引かれないジャンルの曲に、私はあまり興味が無いつもりだった。私は何かない限りボカロしか聴かない。歴代のニコイチ位置の友人がボカロ好きで、親友から奪った片耳に流し込むメロディが私の音楽の全てだったのだ。それで自主的に聴くのも全部ボカロになってしまった。
 そんな世界で生きてきた私は、紗季(※同行親友)が「無難」な曲を歌っているのを聴いてもあまり何も感じることができない。ふーん。つまんない曲、とすら思う。そんなスレた自分に酔っている面もある。ピッチの正確さに元合唱部は違うなと思いつつ、次は何を入れるか、この曲のキーってプラ4で行けたっけ、とデンモクを操作する。
 ずっとそれの繰り返しだと思っていたのだが、無難ソング練習会が5巡目とかにもなってくると、紗季が歌う無難ソングに覚えていた異物感がとっぱらわれてきた。5回目で初めて気づく歌詞。結構いいこと言ってないか。原曲を聞いたことすらない、covered by Saki のみの世界だけれど。まだ脳内MVが作れるほどではないものの、歌詞から連想される過去の記憶を脳内で1枚ずつスライドショー表示してみる。そして思う。絆される、とも言うのか。結構良くないか、この曲。

 ……気づいてしまったのだ。

 私が「好き」とか「そんなに」と言っていたのは、たぶん聞いた回数の多寡でしかなかったのだと。

 私が好きだと言っていたのは、たぶん曲そのもののことじゃなくって、曲に重ねた自分の思い出や妄想でしかなかったのだろうと。

 そう仮定するとすごくしっくりくる例が1つある。セカオワの「炎と森のカーニバル」である。
 具体名を挙げるくらいなので、私はこの曲を社会通念上「好き」と言っても差し支えない程度に好きだ。ただ、曲中で好きな箇所にムラがある。自信を持って好きな部分は出だしの「YOKOHAMAにある」〜「君はここでは大スター」まで。サビにはそんなに思い入れがない。
 どうやったらそんな社会不適合者みたいな切り取り方で曲を好きになるんだという話だが、「私の『好き』が聞いた回数の多寡でしかなかった」という仮説に基づけばこの謎は一挙に解明される。
この曲は、小3の運動会のBGMだった
 3年生はボールを使った演技で、その曲目がこれだった。サビをカットしたということは考えづらいから恐らく1番を丸々使っていたのだろうが、序盤の練習は学年の統率もままならない段階だから時間がかかるものだ。通し練の存在なども含めるとなんだかんだ1番多く聞いていたのだろう。
 まだ "児童" と呼ばれる存在だった私は、暑い中ボール投げを練習させられながらあの世界観になにか自分の妄想や世界観を投影していた。そして触れられなかった2番については、後に存在を知り歌詞を知ってもなお、既存の妄想世界に抱くほどの愛着を持てきれていない。

 恐れをなしつつ、1番「好き」な曲についても考えてみた。インターネットの海で見つけて一耳惚れしたと思っていたあの曲、本当は音なんてどうでもよくて、背景のミクの絵が好きだっただけじゃないのか。視覚情報に呑まれていただけじゃないのか。
 1番好きなはずの曲とはもう10年近い付き合いだ。あの曲の良さはどんなメンタルでも聴けることだった。病める時も健やかなる時もあの曲を聴いて脳内MVをつけた。それが私の幸せだった。たったの1フレーズにだって、存在したりしなかったりする記憶が詰まっている。あの曲をBGMに何人の男の妄想をしただろう。何人の創作キャラクターが生きたり死んだりしただろう。これは間違いなく黒歴史と呼ばれるものなのだけれど、懲りずに私はこの曲を聴くし、音楽を聴くなら脳内PVを更新してしまう。かつては中学受験のことを考えていたか。今は浪人の想いを重ねながら。
 そんな具合に結局思い入れがあろうと、入口は視覚情報でしかなかったのだ。違和が取れるまでの数回ぶん我慢できたのは、背景の初音ミクが可愛かったからでしかない。そして今もたぶん、曲自体が好きなわけじゃない。曲自体が好きなんだと思いたいけれど、どこが? と聞かれて分からないのだ。

 ある曲について語る時、「ここのベースがかっこいい」とか「ここの三連符がオシャレ」とか、ああ筆者に音楽知識がなさすぎて上手い例は思いつかないけれど、そういう具体的な好きポイントを指摘できるのは問答無用でかっこいい。加えて、「なんとなく出だしが好き」とか「サビがなんかかっこいい」とかのフワッとした感想を言えるのだってすごいことだ。私は私にできないことをできる人全員すごいと思う。理由が言語化できないにしても、世に溢れる曲のうちの1つを「なんか好き」の直感で選び取れるのは十分君の音楽性なんだろうなと思う。音楽性のない1人の人間として。

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