小笠原彬

大田区立雪谷中学校→私立二松學舍大附属高校→学習院大学→筑波大学生物学類多様性コース卒業→近畿大学通信教育部図書館司書コース修了見込みというか司書課程合格

小笠原彬

大田区立雪谷中学校→私立二松學舍大附属高校→学習院大学→筑波大学生物学類多様性コース卒業→近畿大学通信教育部図書館司書コース修了見込みというか司書課程合格

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最近の記事

「さいごのnote」

 温故知新とは何ぞや??故きを温ねて新しきを知る、そして奥義は教えない。奥義はけむに巻いてなんぼです。新しい解釈はしてなんぼです。そういったある種の力への意思を妨げる方向に向かう圧力や新しいものを生み出そうとするエネルギーを強奪するあり方は否定できない。また、何か新しいものを0から生み出したとしても、それは人気では全然ない。人気のあるアーティストが新しいprojectを生み出したりするそれは人気とは言うが、よくよく歴史を調べてみると既にやられていることだったりする。焼き直しは

    • 「得度とドラクエ」

      お坊さんになり、修業期間に入ると、教えの統一などないことを学ぶ。この場合はこうと場合に分けて、場面に応じてマナーを切り替えるのである。これはドラクエで敵モンスターと戦闘を行うこと、に似ている。数理最適化という言葉があるが、勿論場面場面に応じてマナーを切り替える。そうあたかもバーサタイリストのように。DX人材はバーサタイリストなのだ。ドラクエの勇者はバーサタイリストであり、ドラクエをしない人間は日常を送る資格はないのである。しかしながら、建前のハブというものが存在する。建て前の

      • 「仁と危険な瞑想」

        仁とは切り分けることである。現実社会と空想の世界を自力で切り分けること、これは言葉のうわべではできるが、実際に行動に移す場合には困難な場合が多い。空想は強力な仕組みで我々の脳みそを支配する。それは行動である。構造と振る舞いがあり、空想の構造は虚=器であり、ふるまいは危険な瞑想である。危険な瞑想とは、目を開けたまま瞑想することである。我々は目を開けていても空想はするし、意識は旅するのである。心即理とはエネルギーを行動に移すことである。危険な瞑想は心即理であり、仁なのである。

        • 「夢十夜入門」

           夏目漱石は第六夜で仁王の像は明治の木には埋まってなかったと言っていた。そうして今日まで運慶が生きている理由が分かったとも書いてある。しかしながら、夏目漱石は名人だ。彼は夢十夜を浮き彫りにした。夢十夜の主人公は夏目漱石ではない。夢十夜はアンチテーゼの作品だ。誰かほかの人物が夢十夜の主人公で、主人公のお茶を濁している。要は、運慶は明治に対するアンチテーゼとして存立していたわけで、仁王の像を彫ると言った時にはお茶を濁してエネルギーを考えること、を指している。夏目漱石も統合失調症だ

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        • 有料記事
          7本

        記事

          「学習障害とカエル顔」

          僕はカエル顔である。また、学習障害でもある。読み飛ばしをしばしば本でしてしまう。機械学習の勉強及び数理最適化の勉強をする際、読み飛ばしを確定でする。なぜ読み飛ばしをするのか考えてみると、数理最適化を勉強する目的は数理最適化を用いて問題解決を行うことが主目的であり、勉強して知識を頭に入れることが目的ではない。勉強の本質は暗記である。勉強が目的=暗記が目的なので、それを応用した結果→応用とは立場が異なる。応用は暗記から成り立っていない、応用は調べて解決で成り立っている。意味は概念

          「学習障害とカエル顔」

          「家族と偽家族入門」

          社会を観察していると、偽家族と家族がいることが分かる。友達は偽家族であり、父親や母親、祖母や祖父は家族である。孤立している人は家族の助けが必要だろう。その孤立も精神世界が華やかだったりすると偽家族による精神支配を疑った方がいい。いいですか、あなたの友人または夢に出てくる人々はあなたの偽家族なのです。群れ=偽家族と一概に決めつけられないものの、あなたの父親と母親は常に他所の友達や政治界隈に曝されている。そうした中で偽家族を大事にする人は終始偽家族の仮面をかぶっていなければならな

          「家族と偽家族入門」

          「政府の監視と筋の通らない話」

          この国の国民は全て政府に監視されている。公安によって監視されている。つまり、監視が主体の国家である。また、精神世界で誰かが誰かに呪いをかけても通報などはいかない。それは韓国の理屈だからだ。日本は監視カメラと盗聴器による政府による監視がメインである。実際スマホにもsimカードを入れる。それだけ建て前の世界で手厚いのに、本音の世界で手厚くないのはなんでかと言ったら筋が通らない話で韓国の特権だからだ。

          「政府の監視と筋の通らない話」

          「事件の真犯人とユング」

          僕の書いているノートは闘病記録なのだが、事件には必ず真犯人がつきものである。僕の統合失調症事件の真犯人は高島明彦という脳科学者。Brain controlと称してコップ脳だかタオ脳に僕の脳みそを改悪し、周囲の脳のコーティングを巻き込む形となった。本質的に言ってしまえば大麻によるカオス魔術で攻撃にあたるが。だが、本人の空想からは逃げられないはずなのである。僕の主体性が曖昧なまま、空想=虚や大麻によるカオス魔術で攻撃ではぐらかして終了とはいかんともしがたい。僕の主観はカントによっ

          「事件の真犯人とユング」

          「昔読んだ黒魔術と空想」

           昔、黒魔術に関する記事を読んだ。それによると黒魔術で可能なのは肝臓を盗んだりすること。または、大麻でシャブ漬けにして、痛みを感じない恐怖のない兵士をつくりだすこと。後者はゾンビという。  これらを可能にするのは大麻である。大麻による黒魔術で攻撃がメーンである。だが、空想こと虚からは逃げられない。宇宙語彙で攻撃、大麻によるカオス魔術で攻撃は空想=虚と猫のチャクラコントロールから目をそらす目的で使用している方便の側面がある。暇さえあれば大麻による黒魔術で攻撃ばかりしている人々は

          「昔読んだ黒魔術と空想」

          「ざっくりわかる数理最適化とありえない父親」

          数理最適化は万年入門編だと思います。(強いて言うなら機械学習の学習がメイン)奥義は論文とかに乗ってると思うのですが、その奥義を会得するためには十分な功徳を積んでいる必要がある。教科書でははっきり言って役不足 だがその教科書の内容をおざなりにしていては、前提となる知識不足で論文が読めない。ので、万年入門編としました。僕の父親も数理最適化に明るいようです。なので、僕と接するとき、生物の小論文を結果だけもらって考察を自力で書けと言ってみたり、その結果を教授に報告してみたりしたら修士

          「ざっくりわかる数理最適化とありえない父親」

          「裏実装とsleepの魔法使い」

          裏実装と言えば隠れた説明である。sleepの魔法使いは説明にsleepの魔法をかけて眠らせる。眠った説明は隠れた説明となり、裏実装となる。要は、裏実装の隠れた説明はsleepの魔法に掛けられていて使えない。現実世界に隠れた説明はつきものだ。極端なことを言ってしまえば、現実世界がawakeningの魔法にかかっており、夢の世界がsleepの魔法に掛けられているのである。覚醒と睡眠はループする。覚醒している人々は睡眠を同時に体験するであろう。awakeningとsleepのループ

          「裏実装とsleepの魔法使い」

          「公明正大な取り決めと洗脳」

          公明正大な取り決めと洗脳は同一視できる。洗脳とは教育であり、映像である。韓国なら鶏と卵の関係の衆人環視ネットワークの仲間入りをすること、日本なら公的な機関に対して資格認定を受けること。要は耳を揃えていることが必要である。公明正大な取り決めは洗礼であり、洗脳と同一視できる。洗礼には洗礼者が必要である。そう、表の世界で公的に認定を受けて洗礼を受けたところで、本音と建前の本音の部分で洗礼のハブを受けてしまうことがある。そうした場合には本音と建前による防衛が必須で、建前では例えば司書

          「公明正大な取り決めと洗脳」

          「迷信のコーティングと隠れた説明」

          迷信のコーティングは存在する。これは本当のことだ。隠れた説明はsleepの魔法にかけられていて使えない。隠れた説明をいかに明示的に説明するかが重要だ。明示的に説明すれば使える説明になる。迷信は根拠がない隠れた説明だから、使えない説明。迷信を明示的に説明して、根拠を付加してやれば正しく使える説明になる。オカルト界では使える説明なんじゃないのという方、何かデータとかあるんですか?オカルトのマナー違反、迷信なので、オカルトのマナーである、鏡像自己がそれを取り締まる。

          「迷信のコーティングと隠れた説明」

          「洗脳とコーティング」

          洗脳は人の脳に教育のコーティングをすることと同じである。要は親が子供に渡す教育がコーティングであり、洗脳なのである。信じることはコーティングという根拠に基づいている。信じさせるためにもコーティングは必要である。信じさせるためにコーティングを相手にする。この営みは原始人類にも遡れる。コーティングを相手にせずに何かを信じさせることはおおよそ困難であり、根拠のない迷信という恐ろしく脆い基盤に頼って人を操ることはできるのであろうか、いやできない。なぜならば、根拠がないからである。根拠

          「洗脳とコーティング」

          「タオと家」

          タオは容器である。壺とか言ったりする。家も容器である。東洋医学漢方では悪鬼の仕業で病が起きる、要は悪鬼が自分の内臓に入り込んで悪さをするから病気が起きる、タオの理屈である。しかしながら、漢方ではメーンで経口接種薬を投与する。それは胃腸の不思議な力を信じているからである。睡眠薬も一度胃腸に取り込まれてから脳に作用する。ケミカルな世界に明るければ、それは受容体特異的な物質だからとわかるが、睡眠薬が一度胃腸に取り込まれてから脳に輸送されるとはおおよそ信じ難い、ができてしまうのが胃腸

          「タオと家」

          「医は仁術」

          医者はオカルトと現実の境目を誰よりも知っている。私はオカルトで心臓と肺を強奪されたことがある。その時も医者が提示してくれた心臓と肺のエコーとX線検査の教養で助かった。オカルトと医学的根拠に基づく解剖学的事実とは異なる。その切り分けこそが仁術なのである。また、手術を行う手先の器用さもまた仁術をなす元手であろう。さっき言った心臓と肺の強奪はオカルトで言うならば、教養で強奪というところに行き着くだろう。調べたことを他人に教えるこれも立派な授業であるから、オカルトのマナー教養で強奪が

          「医は仁術」