格闘ゲームとADHD疑いの僕
どうもこんにちは、まくらもとと申します。
突然ですが、僕は格闘ゲームが好きです。
昨今ではネットワーク技術も発展し、格闘ゲームにおける醍醐味である対人戦は超手軽に楽しめるようになりました。
それが逆にゲームセンター、アーケードの衰退につながってしまっているのは少し残念ですが…。
この記事を書こうと思った当初は、僕と同じようにADHDによって、格闘ゲームだけじゃなくって、自分の好きなことを楽しんでるときにモヤモヤを感じてる人に、自分ひとりじゃないって感じてほしいし、僕自身もそう感じたいから、といった理由を持っていたんです。
しかし、いざ記事を書こうと思うと、「こんなことでモヤモヤしてる人が自分以外にいるだろうか?」とか引っ掛かりが実に多くて、今もモニターを前に頭を悩ませています。(そんな暇があればコンボの一つでも練習しろよって話なんですが。)
書けば書くほど、「気にしないで楽しめばいいじゃない」ってのが頭にわいてきてしまってうまくまとまらないんですよねw
僕は、仕事でうつ病を抱えた際に、心理検査を行った結果、動作的IQの値が言語的IQの値に比べて10以上低く、ADHDの疑いがある、という診断を受けました。
実際、仕事上でも、ド忘れや、作業のミスなどが目立ち、手帳やらスマホのスケジュールアプリやら、文房具やら整理術やら、いろいろと対策をするものの、対策そのものを忘れたりしてしまったり…、そして作業のやり直しや、お叱りを受け続け、「自信…?それなに?どういうもの?」みたいな状態になり、メンタルが音を上げたわけですね。
そんな感じで療養中にふと、自分が楽しいと思えることをしようと思い、格闘ゲームに手を出してみるものの、うまくいかずモヤモヤして今に至る、と。
格闘ゲームは上述したとおり、醍醐味は対戦にあります。
そこにはやはり勝敗はついて回りますし、その勝敗はデータとして残り、結果として目に入ってきます。
そして、負けが込むと、恥ずかしながら、こう思ってしまうことがあるんです。
「自分はADHDだから勝てないのではないか」と。
答えから言ってしまえば、NOなんですが、NOと断定しきれない気もしてしまうんですよね。
それこそ、最初に書いた「そんな暇あったら練習しろ」になるんですけど。「もしも自分が文句なしの健常であれば、勝ててたんじゃないだろうか」
って思いがわいてきちゃうんです。
結果として「負け」があって、そうなった原因は試合中の行動にあるんですが、その行動がちゃんと自分が思い通りに動けていたかが疑わしいというか。病気とか特性の所為にしたいよ!うわーん!みたいなw
こんなこと思ってモヤモヤしてるのは僕だけかもしれないなぁ。
甘ったれているのかもしれないなぁ。
とか考えが巡りながらキーボードをたたいています。
これを書いてる途中にふと思ったのは、結局、「格闘ゲームが楽しい」のではなくて、「格闘ゲームで勝つことが楽しい」のではないかということ。
うーん、確かに、試合で勝つのはすごくうれしいけど、必殺技ひとつ決めること、コンボを完走することだけでも楽しい気もするし…。
かといって、負ければ悔しいのはどうあがいても変わらないし、負けた時もちゃんと、自分に足りないこと、相手が上手だった部分なんかもすごく考えて、負けた理由にも納得してるつもりだけど、やっぱり悔しい!
しかしながら。かの有名なプロゲーマーの梅原大吾氏も自身はADHDかも。みたいなこと言ってるし、結局はどこまでのめりこめるか、というか、どこをどう楽しめるか、そこが大切なんだろうなぁ、とは思うものの、うまくいかないなぁ。
ついには、格闘ゲーム以前に物事への取り組み方についても疑問を持ち始めるのでした…。
やっぱり、書けば書くほど甘えに思えてくるなぁ…。
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