目の前にあるものをしっかり見よう、そして考えよう

緊急事態宣言の発令に際して、大手飲食店グループの代表者がご自身の考え方を発信されている文面(「緊急事態宣言の発令に関して、グローバルダイニング代表・長谷川の考え方(2021年1月7日現在)」)を拝見した。この発信については危機管理の専門家からも「あり」と評価されている記事(「グローバルダイニング社長の公式発信 危機管理広報の視点から考えて「あり」」石川慶子 | 危機管理/広報コンサルタント)もあり、Social Mediaでも賛同する意見が見受けられる。私は当該企業の発信の是非については論評するつもりはない。ただ、そこで触れられている事態認識については賛同される方も多いだろうし、興味深いと考えたので以下にコメントしたい。

⑴ 現在「緊急事態」であるのか?
私はそう思えません。
緊急事態とは「国民の生命」、「健康」、「財産」、「環境」に甚大な脅威となり得る事態と認識しております。
今の日本で、コロナ禍が国民の健康と生命に甚大な脅威なのか?
幸いなことに日本における新型コロナによる死者数は米国と比べると約40分の1と極端に少なく、
東洋経済オンラインによりますと累計で3,718人。(https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ 1月5日現在)
比較として2018年の「季節性インフルエンザ」の死者数は3,328名。
大流行した1998年〜1999年は約10倍の35,000人程の方々が亡くなっている。
その時、緊急事態宣言、出ていますか?
また、新聞にも出ていましたが、厚生労働省の人口動態統計速報によると、2020年10月までの総死者数は2019年と比べて約14,000人減少したとのこと。
一番の理由は、インフルエンザの感染が抑えられ、その死者数が激減した事だそうです。

ここで取り上げられているのは「コロナ禍が国民の健康と生命に甚大な脅威なのか?」という認識の問題である。その論拠としてインフルエンザの死者数との比較が挙げられている。総体としての死者数が減っているのだから毎日東京都内だけでも1,500-2,000人レベルの感染者が増えたとしてもそれは許容すべきと考えられているのだろうか。確かに、緊急事態宣言を発出せず、現状の経済活動を継続した結果インフルエンザレベルの死者数に収まることが見通せるのであればそのような選択もありうるだろう(インフルエンザと新型コロナウイルス感染症の後遺症の相違については捨象するが)。しかし、インフルエンザと異なり無症状でも感染を広げるという新型コロナの特徴やこれまでの感染拡大の経緯、諸外国での感染拡大状況を考えるとやはり「コロナ禍が国民の健康と生命に甚大な脅威」になりうると捉えるべきであり、それに対応した措置を事前に施すのは必要なことだと思う。下で「準備をしていない」と批判されているのであれば、ここで諸外国のような状況に至る前の準備として緊急事態を宣言することは必要と認識されるべきではないだろうか。

⑵ ロックダウンを徹底している国々で感染が下火にならず、「時短」や「休業」が感染をコントロールするのに効果ないのは世界規模で証明されていると思っているからです。

ここでは我々が目指すべきターゲットの認識への齟齬がみられる。「下火」といわれているのが台湾や北朝鮮(?)のようにほぼ感染者がいないという状況を指すのであればロックダウンしている国もその目的は達成できていない、と認めることもできよう。しかし、何もしないで感染の拡大を放置するのではなく、少しでも感染拡大を抑制しようとするというところを目指すのであれば、ロックダウン国においても効果が生じているものと思われる(比較の対象はロックダウンしなければそうなっていた、という仮想の状況である)。したがって「効果(が)ないのは世界規模で証明されている」というのは誤認である。人が吐き出す飛沫・飛沫核による感染の形態からは、人同士が接触・近接する全ての状況を減少させることは何らかの効果があるという結論になるはずであり、問題はそれぞれの施策の効果の程度の比較となるに過ぎない。ただ「時短」については決定的な施策とは言い難いのは同意したい。

⑶ 医療崩壊、本当なのか疑問に思っています。
冬にウイルス感染症は増えるのは自然の摂理。
これに対して(パニックを起こして)、医療崩壊とおっしゃっている国や自治体の関係者、感染症専門家の方々は何の準備もしていなかった?
また、死者数は米国などの約40分の1しかいないのに、なぜ医療崩壊?

医療崩壊かどうか、という現状認識については当事者である医療従事者および専門家の意見に依拠せざるを得ない。そもそも部外者である我々には受け売り以上のことはできないのだから。そして準備不足の批判は現状が医療崩壊の危機にあるかどうかの事実認識とは関係ない。もちろん政府や医療機関が体制を拡充していれば同じ感染数でも医療崩壊への余裕が持てるとは思うが、それ以前にこの感染者数を許容していいのかという問題は残る。一定の割合で感染者が死亡し、かつ死亡にはいたらずとも後遺症で苦しむ人たちのことを考えると私は、医療機関のキャパシティを理由に感染拡大を許容する意見には同意できない。

⑷ 今の行政からの協力金やサポートでは時短要請に応えられません。
飲食で19時までの飲食の提供、20時までの営業では事業の維持、雇用の維持は無理です。

この点はストレートに意見を述べられていると思う。争点は「今の行政からの協力金やサポート」である。前置きとして「緊急事態の存否」「ロックダウンの効果」「医療崩壊の有無」などの議論をされているが、結局は経営問題として要請には応えられないということでしかない。そうであればそれだけ言えば良いのに、と思うのだが。ただ、前置きの理由づけのそれぞれには、それなりに賛同を得られるポイントが含まれている。例えば、「本当に緊急事態なの?」という点に対しては「そうだよな」と感じる人がおり、「要請に応えられない」という結論にも好意的になる。従って全体としてはロジックが通っていなくても結論の説得力を補強できるのだろう。しかし、この文章の前提の事実認識が誤りであり、あるいは誤った仮定に基づいたものであることには違いはない。言い換えれば、自分の結論を導き出すのに都合の良い見方に誘導されているだけである。

ここ1年間の議論の中で気になるのは、多くの反論は立証レベルではなく反証にとどまっているに過ぎない点である。そして現状維持をベースに思考が停止している。前にも述べたがGoToトラベルで感染した例は少ない=GoToトラベルが感染拡大に寄与したとは言えない→続けても問題ない、というロジックは一例である。しかし、私たちが考えるべきは今何をすべきかである。立証責任を相手に押し付けて納得できないのであれば何もしないと言うのは現状には適合しないと思う。去年の4月の段階では役に立ちそうなものは何でも試す(イソジンとかも含めて)というアプローチで、後に誤っていたことが判明したものも多かったが、1年たった今でも対策の効果が万人が納得するレベルで「立証」することは難しい。しかしそれでも現状維持にしがみ付くことなく事実に基づいた専門家の意見を見分け、行動を変えていくしかないだろう。


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