チップとは何ぞや、キューバで生演奏を聴いたらどうする?
キューバで、流しのミュージシャンにはいくらチップを払う? そんな話がツイッターで話題になり、とある記憶がよみがえりました。
首都ハバナの中心街は、どこかでリズムが鳴り、メロディが漂っています。
店でランチにありついたら、突如始まった、流しのミュージシャンの演奏が見事すぎて、ほおばっていたチキンを飲み込んでしまった。なんていうこともありました。
音楽で身を立てるキューバ人は、クラシックの基礎を積み、鍛錬を重ねた、すご腕が多いのです。
とはいえ、観光客を前に演奏する、流しのミュージシャンには、せいぜい1CUC(注)、あるいは、さらに1~2CUC加えたぐらいのチップを渡していました。
(注:2019年当時の通貨単位。1CUCは1米ドルに相当、約110円)
そんな私が「チップとは何ぞや」と頭を抱える出来事が起きたのです。
キューバに2年前、取材で訪れたとき、ハバナの海沿い、マレコン通りに、週末の夜、連れていってもらいました。
地元の人たちが集まり、思い思いに過ごすにぎやかな空間は、私にとってこれ以上の「娯楽」はないと思える場所(注)。
(コロナ禍は、夜間外出できないとのことです)
見つめ合う恋人たち、はしゃぐ友人たち、歌い、踊り、飲んで食べて、”パーリー”な一体感に包まれます。
同行してもらったのは、取材の通訳をお願いしていた、日本通でアニメ好きのキューバ人男性でした。
すると、ギターとボーカルの男性デュオが寄ってきて、演奏をしてくれました。
音の大部分は、海からの風にかき消されてしまいましたが、しっとり奏でる調べは甘美で、心地よかった。
すると、一緒にいたキューバ人男性がデュオに、「はいっ」という感じで、5CUC渡したのです。
つい先だって、携帯電話の通信代やタクシー代などのためにと渡した、取材の経費がほぼチップに消えている。
「演奏がすごく上手だったから?」
私は思わず聞いてしまいました。すると彼はこう答えたのです。
「技術的にはプロではないと思う。ギタリストは技術的にこういうところが〇〇(うんぬんと批評)」
それでもチップをはずんだのは、「着ているものから判断して、暮らし向きが大変そうだから」。
そうか。
チップは心づけ、つまり「気持ち」なのです。なのに、私はいつから、「格付け」の手段にしてしまっていたのか。
米国に住んでいたとき、レストランでチップを置くにあたり、サービスの質で、金額を変えたこともありました。
ウェイター、ウェイトレスさんも、サービスの質を高め、チップを稼いでいた印象がありました。
そうした経験から、「心づけ」がいつのまにか、自分のなかで質の「品評」になっていたのかな。
そう思ったら、自分のせせこましさが露わになったような、とほほな心持ちでした。
デュオは隣、またその隣のグループと移動しながら演奏を続け、しまいに大合唱がわき起こっていました。
私はまたいつか、キューバの街角で、生演奏に心をつかまれ、チップを置くかもしれません。
そのとき、どんな「気持ち」を載せるのでしょうか。