真喜屋力のTeBiCHi note

映画『パイナップルツアーズ』(1992)監督。TVアニメ『アークエとガッチンポー』監督。BOX東中野、桜坂劇場などミニシアターの立ち上げにもさんか。現在は沖縄アーカイブ研究所代表。沖縄県内の8ミリフィルムの収集と保存、公開を行っています。

真喜屋力のTeBiCHi note

映画『パイナップルツアーズ』(1992)監督。TVアニメ『アークエとガッチンポー』監督。BOX東中野、桜坂劇場などミニシアターの立ち上げにもさんか。現在は沖縄アーカイブ研究所代表。沖縄県内の8ミリフィルムの収集と保存、公開を行っています。

最近の記事

首里劇場で学んだ映画の作り方

映画を始めたころは、まじめに絵コンテを描いていた。脚本を元に撮影の構想を練り、スタッフがそれを見れば何をすればわかるようにと、細かい指示を書き込む。つまり撮影前に頭の中で映像を作り上げて、形にしていくわけだ。大学の映研時代から商業デビュー作の『パイナップルツアーズ』までは、それが映画の造り方だと思っていた。その確信に揺らぎが出たのは『パイナップルツアーズ』の完成後だった。 『パイナップルツアーズ』では、クレーンやレールなどの特殊機材を初めて使った。そういう機材を使って映画を

    • iPhoneだけで映画を撮る之巻

      Appleの公式動画はもちろん、最近では三池崇史監督のネットムービーとか、あれやこれやとiPhoneがあれば映画が撮れるなんていう宣伝は流れてくる。観れば普通の映像作品と比較しても遜色のない映像に驚かされる。でも世の中そんなに甘くない。そういった映像はiPhone以外に、様々なプロ用特機、照明、録音機材はもちろん、最高のスタッフとポスプロに囲まれており、そりゃあ凄い映像になるだろうさと、やっかみ半分で思ったりします。 貧乏映画監督の選択 『劇場が終わるとき』の撮影と録音は

      • 沖縄でマスコミ向け試写会って画期的かも

        本コラムは、ドキュメンタリー映画『劇場が終わるとき』のディレクターズノートです。 → 『劇場が終わるとき』公式サイト 公開の二ヶ月前ですが、沖縄県内のマスコミ&関係者向け試写会を、日を分けて複数回実施することにしました。実はこれってあまり沖縄ではやってない方法だと思う。 東京スタイル 一般的な例で言えば、東京だといくつかある試写室を10回くらいはおさえて、試写状ってのに日程を書いてマスコミや批評家に送るもの。招待された方は都合の良い日時を選んで足を運ぶので、主催者側の負

        • 「琉装で結婚式」のルーツを考えた

          “#ちむどんどん反省会”というハッシュタグが生まれるほどに、“まちがいさかし”ゲームとして楽しまれているNHKの某連ドラ。「’70年代の沖縄の結婚式の花嫁衣装が和装」という正しい歴史考証まで、「沖縄の結婚式は伝統的な琉装です」と否定されてかわいそうだった。まあ若い人や本土の人であればそのような歴史認識も仕方がない。 ただ同様の誤解をしたツィートに『パイナップルツアーズ』の『春子とヒデヨシ』の結婚式シーンのスチルが、例として貼り付けられていたので、他人事ではない展開になり、変

          僕とイエスと掘っ立て小屋

          2004/05/13(初出:TeBiCHi.com 2004/05/13) 運命の赤い糸というものは、なにも恋人たちを結ぶためだけにあるのではない。人と人との出会いと別れの数だけそこかしこに結ばれては消える、無数の糸の絡み合い。まあ36年も生きていれば、いろいろな糸が絡みついてくるものだけど、とっくの昔に切れたと思っていた赤い糸が、文字通り紆余曲折を経て目の前に現れることもあったりするのだ。 新宿の街をブラブラしていた時、その声は突然背後から響いてきた。しょぼい街宣車のス

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          島豆腐とトラウマ

          島豆腐は、もちろん子供のころから食べていたが、実はそんなに思い入れはない。ただ大人になって、どうも本土の木綿豆腐とは違うものらしいと知ってから、チョイチョイ気になるようになったくらい。それはつまり大学生になって本土の人間と関わったころからだ。彼らの証言では「日本の豆腐は水の中に漂うか弱い存在」と言うことを聞き、確かにそれは僕の知っている豆腐ではないと、己の沖縄 アイデンティティに目覚める中に、島豆腐は今も大きな意味を持つ。 記憶の中の島豆腐は、近所の商店の涼しげな棚の上に

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          失われていく物と消えない想いを訪ねて

          脚本家、金城哲夫の書斎に続く階段が無くなったと聞き、この目で確かめようと見に行ってきました。たまたま職場が南風原町にあるので、1月のポカポカ陽気の元、つらつらと自転車を漕いで行ってきました。 哲夫さんの書斎は、金城家の家業である「松風苑」の庭に建つ離れの二階。外からは急な階段が付いていて、一階の部屋を通らずに直接出入りできる様になっている。 円谷プロを辞め、東京を離れ、戻ってきた沖縄で、新たな野望を展開するべく用意された「秘密基地」とも言える書斎。僕の妄想の中で、哲夫さん

          失われていく物と消えない想いを訪ねて

          noteはじめ

          とりあえず、勢いで始めてみた。 なんというか、普段「沖縄アーカイブ研究所」と言うブログをやっているものの、あちらは公式なもので、あまり私的なことはかけない。かといって、個人ブログを立ち上げようと思えば、こってデザインとかあれこれしたくなるし。noteを利用して、あれこれ記録してみようかと思って悶々としていたところ、知人から誘われたので、2022年ということではじめることにした次第です。