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お千鶴さん事件帖「因縁の玉」第五話③/3 完結編

割引あり

(五)

 朝貸本屋が例の本をもってきてからというもの、千鶴は首っ引きで読みふけっていた。
 災害が起こったときにどう対処するべきかをわかり易く書き集めた本だった。炊き出しをしたり、仮設の住居を素早く建てたりすることは千鶴にも想像がつくが、災害発生後の便乗値上げを止めることなどが書かれてあって、なるほどと感心した。鯰の話などどこにも出てこない。それよりももっと生活に則していた。
 火事が発生しやすい事例を読んだとき、ふと先日聞いた話を思い出した。水晶玉とお天道様の結びつきは場合によってはとても危なっかしいものであることがわかった。
 檜山と橋蔵が共に帰ってきたのは昼過ぎのことだ。
「一件、落着だ。お千鶴」
 橋蔵が満面の笑みである。
「そういうわけでもありません。お藤さんが話し始めたってことだけで。証はこれからです」檜山が口をはさんだ。
「『私がやりました。あの短刀で私を脅して、蔵の鍵を開けさせ大事なものを盗もうとしたので、思わず刺してしまいました』って言ったよ。本に手をやるすきに短刀をつかみ、刺したんだとよ。ひょっとしてまだ死んでいないのではないかと、鍵を閉めて賊を閉じ込めたつもりらしい。気が動転していて、番屋に言づけるのが遅れてしまい、すみませんでしたって、今までになくはっきりと言うんだぜ。話の筋はだいぶ通ってきただろ?」
「あの短刀は仏さんのものなんですね?」
「そうです、ってさ」
「それも、まだお藤さんが言っているだけで……」檜山は書き記した帳面をせわしなく繰っていた。
「でも仙吉さんは発見時である早朝の鍵開けをお藤さんからいつもと同じように、普通に頼まれたってことでしたよ。死体があるのを知っていて、それはなんだかおかしいです」
「若おかみが下手人に決まってる……他に考えられない」
 橋蔵が急にそわそわしはじめ、バツが悪そうな様子を示した。
「お千鶴が言ったんじゃあねえか。早くしゃべっちまえば、抵抗した末の事件なら、罪には問われねえよって話したんだよ。勘弁してくれよ」
「そんなことだとわかっていました。どういう態度に出るか様子を見たかったんですもの」
「オレを利用したな」
「ふふ」と笑ってごまかす。
「お千鶴さん、例の何かひらめきがあったんですか」
 檜山は千鶴の顔を興味深々にのぞき込んだ。それには首を振って、千鶴は思案顔だ。
「明かりでも持って入らないと蔵の中は真っ暗です。明かりをつけていれば、離れの志乃さんが気付かないでしょうか? 小柄な男であるとは言え、お藤さんが立ち向かえるような相手には見えません。格闘したなら、大きな音がしたでしょう」
「お千鶴さん、私も同じ考えです」
「ほら、ごらんなさい」と、橋蔵をにらむ。
 千鶴は一点を見つめて、しばらく物思いにふけった。おもむろに橋蔵に向かって打ち明けた。
「おまえさんに内証で、おかみさんの志乃さんに話を伺ってきました。解せない点が二つあります。声をかけるべきときに声をかけなかったこと。それと逆になぜあの時に声をかけたのかという二点」
「なんだい、そりゃあ」
 橋蔵は、もっとましな話かと身を乗り出したのに、がっかりした様子だ。
 それから、おもむろに付け加えた。
「女岡っ引なんて認めねえぞ」
「さっきの話で、お藤さんは、様子が全くわかっていないということがよーくわかりました。つまり、誰かをかばっているんです」
「主人は留守だったぞ」
「犯行は留守の間の夜中ではありません。そのカラクリは解けましたよ、檜山様」
「参りました、ついに出ましたね」
 にやにやする檜山に向かって千鶴は一気にまくしたてた。
「かばう相手はご主人でしょう。ただ義母さんだって、もしかしたら大番頭さんだって怪しいし、いろいろ考えられます。お藤さんに何か面会する口実というのはありませんでしょうか? 一筋縄ではいかないのは事件の関わり合いが混み入っているようなのです。それぞれに誤解があり、それぞれに思いがあり、そのすべてを一つにつなげるには、皆一緒に集まってもらう必要がありますよね」
「実は、お千鶴さん。事件はさらに、おかしな事になっているのです。亭主である若旦那に、その母親のおかみさんまで、己がやったと自首しに来ているんです。お藤さんの自白があったとはいえ、真のことがまだ霧の中なのです」檜山は眉を寄せて話を続けた。
「お千鶴さんの言うように、三人を逃げないように番屋に留め置いた状態で、全員一緒に話をさせようかと手配済みです」
「番屋が前代未聞の大人数だな」橋蔵が首をかしげる。
「それは面白い試みです」と満悦の千鶴。
「檜山様がお取り調べするんだから、千鶴は出しゃばるんじゃねえぞ。いいな。片岡様は呼ばないで下せえ、あのお方に知れたらただじゃすまねえ」
 檜山の同僚である片岡は千鶴の岡っ引まがいの振る舞いにやたらと手厳しい。もっともその方が世間では普通のことである。

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