したたかな自民党 それでも2025年、日本は曲がり角に
自由民主党というのは、したたかな政党だ。つくづく、そう思う。
2024年9月27日に投開票された今回の自民党総裁選では、最終盤まで、「石破茂氏は党員・党友票で人気を集めても、人付き合いが苦手で同僚の国会議員の支持が弱い。相手が小泉進次郎氏でも高市早苗氏でも、最後は負けるだろう」というのが多くの政治記者や評論家の読みだった。
だが、結果は全く違った。
小泉氏が1回目の投票で3位に落ち、高市氏が1位、石破氏が2位という結果も予想外だった。1回目で1位とみられていた石破氏は、高市氏に議員票で大きく差をつけられて2位となったため、このまま高市氏が新総裁に選出かと思われた。だが、決選投票では、石破氏が議員票で高市氏を大きく上回り、都道府県票でも勝って、大逆転、新総裁に選ばれた。10月1日招集の臨時国会での指名を経て、第102代首相になる。
そもそも、今回の総裁選は、8月の旧盆の最中に、岸田文雄首相が突然、不出馬を表明したことで、9人もの候補者が乱立する前代未聞の事態となった。岸田首相の決断は、派閥と裏金などの「政治とカネ」や旧統一教会問題などに対し、収まらない国民の批判の声を受けて、党内の危機感が高まったことが背景にある。
次の国政選挙では、自民党に対する厳しい評価が待っているのは間違いない。新首相が登場すれば、しばらくの間、ご祝儀ムードに包まれるだろう。その熱が冷めないうちに衆院を解散して総選挙を断行し、議席減を最小限に抑えようというのが、自民党の多数派の狙いだ。
そのための党の顔として、当初、最有力視されたのが、小泉氏だった。だが、小泉氏は、長い総裁選の中、意味不明な発言などで不安視され、失速した。代わって高市氏が急浮上したが、強硬な保守色が穏健保守層の反発を買った。自民党の多数派は、最後の最後、「次の選挙の顔」に誰がふさわしいかという物差しで、どちらかといえば穏健な印象のある石破氏を選択したのだ。
思い出すのは、1974年(昭和49年)12月、自民党総裁に選ばれた三木武夫元首相のことだ。
三木氏は、田中角栄首相が金脈問題で退陣し、自民党が窮地に陥った中で、少数派閥の領袖だが清潔なイメージの「クリーン三木」として後任の党総裁に選ばれ、念願の首相に就いた。石破氏も「政治とカネ」で責任を取った形の岸田首相の後任として選ばれた。「政治とカネ」で窮地に陥った時に、正反対のイメージを持つ政治家をリーダーに選ぶのは、自民党のお家芸である。
三木首相の政権運営は順調とは言えなかった。1976年(昭和51年)2月、ロッキード事件が起き、東京地検特捜部による捜査が始まると、党内で反三木感情が高まり、倒閣運動に発展した。いわゆる三木おろしである。田中前首相が逮捕されるなど大騒動の末、三木首相は総選挙で大敗し、責任を取って退陣した。
もちろん、この時と同じようなことがまた起きるとは限らない。石破新総裁は、当選12回、挑戦5回目にして総裁の座を射止めた執念の人である。党内力学のバランスを探りながら、内外の課題に取り組んでいくだろう。
それでも、昭和の古い体質の牙城と言ってもいい自民党のことだ。今年中にあるとみられる総選挙や来年2025年の参院選の結果次第では、「石破おろし」が始まらないとは言い切れない。自民党の保守本流ではない石破氏が「防災省(庁)」などに道筋をつけることができるかどうか。来年は、日本の政治や外交、経済、社会にとって、大きな曲がり角となるのは間違いなさそうだ。