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「雌伏三十年」 第9章 『流転するバンド』 部分公開

ミーティング後、俺は自宅に帰るわけでもなく歩いていた。秋風が土手っ腹を吹き抜け、身体を芯まで冷やす。いつの間にか季節は変わっていた。
胸に去来する無情。

 別れはいつも暴力的に俺の前に現れる。志保の時もそうだった。こちらの事情などお構い無しだ。自分のしたことの落ち度が見当たらない。一気に2人が俺の前からいなくなった。
二日酔いのようなドローンとした気分のなか、何故だかわからないが、山口とツアー中にした会話を思い出していた。

 運転は山口、助手席には俺。他は皆、寝ていた。山間にそびえるラブホテルのネオンが車窓越しに見えた。そして、朝もやに包まれた畑たち。これぞ田舎の風景だ。〝土とエロ〟は近いな〜。

俺はむしろあの中で暮らしていたんだ。そんなことをぼんやりと考えていた。

「もうすぐ東京だな……。」

俺がそう言うと、山口が珍しいトーンで反応した。

「なぁ、おっさん、俺いつも思うんだけどよ。おまえらはなんで東京に出てこようと思ったんだ?」

「え?そりゃ、田舎が楽しくないからだよ。」

「へぇ〜。俺さ、田舎のこういった町並み見てて思うんだけど。いったいどうやって生活してんだよ!って思うんだよなぁ。」

「ぶははは!おまえ、そりゃ失礼だぞ!つーか、その気持ちわかるけどな。地方出身者の俺でも今はそう思うよ……本当どうやって暮らしてんだろうな、あいつら。うふふふ。」

思わず笑ってしまった。山口はこちらに振り向くこともなく落ち着いた様子でハンドルを握っていた。

「俺さ、東京生まれ東京育ちでよ、しかも江戸時代から東京の一族なんだぁ。」

「そうなの?今まで聞いてなかったけど。マジで?どこよ?」

「須田町、神田だよ。」

「え?あんなとこ人住んでんの?」

「今、親が住んでる家は門前仲町だけど、御茶ノ水にも家があってさ。俺は今そこに住んでるんだけど、いずれは相続しなきゃいけないんだよ。」

「どういうこと?意味わかんない。」

今まで知らなかった山口の情報が一気に増え、思考が追い付かない。

「須田町にはビルがあって……」

「え?え?ちょっと待って、山口って、ひょっとして金持ち?」

「金持ちじゃねぇけど、まぁ資産家ではあるとは思う……ま、親とか、じいちゃんがだけどな。」

 ラジカセから流れる「フリー・アズ・ア・バード」のボリュームを少し下げる。タバコを手に取り、座り直した。山口が堰を切ったように喋る。

「いや、大変なんだよ、江戸時代からずっとある家系ってのも。俺、東京出身で、しかも家からは〝山手線の内側〟の人じゃないと結婚しちゃダメって言われてるからね、北は文京区まで、南は品川、西は四谷、東は墨田川の内側までとか、あははは。」

「あははじゃないよ、おまえ。」

「東京ってさ10年経ったら風景が変わる街だろ?よそからやってきて、適当にいじくり回して、景色変えちゃう奴らにいちいち心を動かされてたらやってらんないのよ、こちとら。だから、結婚するなら東京の人とじゃないと純潔は保てない!」

「……。」

「冗談じゃなくて、俺は代々守ってきた土地を引き継いでいかなくちゃいけないのよ、でも、相続には莫大な金がかかる。すると、東京の人は挫くじけて、土地を小分けにして売るしかなくなる。で、よそから来た奴らが、それをヨダレを垂らしながら買って、狭い土地に細長い家を建てる。景観もへったくれもないわけよ。言ってみれば、東京はよそ者にずっとレイプされっぱなしなわけ。だから俺は不動産の管理とか、税金の勉強してる。で、近い将来は親やじいちゃんの持ってる不動産とかを管理するんだ。自分のことしか考えてない下品な田舎もんに負けないために。俺はそういう奴らに氷の心で接する。で、高い家賃で懲らしめるんだ、あはははは。」

「……おい…おまえ、よく喋んな……つーか、相当思うところあんだな。でも、なんか謎が解けたわ、おまえがなんかガツガツしてないのが……。」

「ていうか、おっさんがガツガツし過ぎなんだよ。」

「俺が?」

「俺さ、前から思うんだけど、放ほっといてほしいんだよね、東京を。」

「別に、俺はただ暮らしてるだけだよ?」

「いや、長渕剛が、〝死にたいくらいに憧れた東京の馬鹿野郎が〜〟とか歌うじゃん?なんで俺ら普通に暮らしてるだけなのに恨まれなきゃなんないの?って思うよ。勝手に憧れて、勝手に罵って。」

「知らねぇよ!んなもん!長渕が勝手に言ってるだけじゃん。」

「でも、おっさんは新宿がどうとか、渋谷に埼京線が来てもう終わったとか言ってるじゃん?何が終わったのか意味がわからないし、うちなんか神田明神の氏子だぜ?渋谷なんか本当は江戸じゃないってじいちゃんも言ってるぐらいで、浅草だって、日本語が通じる狸が住んでる町だって言ってるぐらいだよ。だからそういう意味じゃ全部終わってるとも思うしよ……。」

「おまえ、意識してないだろうけど、たぶん今とんでもない差別発言を口にしてるよ?」

「なんつーの?例えばさ、俺、中学で初めて渋谷に行ったのよ。普段行く必要ないしさ。」

「それで?何が言いたいんだよ?」

「新しいとか、トレンドとか、だいたい言ってんのは……。」

「おまえら田舎モンって言いたいんだろ?喧嘩売ってんのか?おまえ。」

「いや、そういうわけじゃなくて、俺らただ住んでるだけで、新しいとか、イケてるとか、終わったとか知らないし、俺らはどっちかっていうと先住民として被害者な感じな気がするんだけど、加害者みたいに言われたり……いつも東京を問題にしてんのは、おまえらみたいな地方人じゃん?違う?」

「おまえさ、凄い選民思想だよ、それ。俺らブラックバス扱いじゃん。おまえみたいなのがヒトラーになるんだよ。」

「違う、違う、なんで、そんな無理してまで東京に住みたいの?とも思うし。だって、家賃とか払ってるだろ?」

「あ!本当に腹立ってきた!」

「やっぱさ、『おら、東京さ行ぐ!』とか決意したわけ?」

「おまえ、本当にナメてんな!ああそうだよ、思い立ったよ!で、故郷を後にして、いつか錦を飾ろうと……。」

「山梨じゃ飾れないの?錦?」

「飾れないよ!だから出てきたんじゃん!」

「で、出てきたのはいいけど、しつこいようだけど、放っておいてくれないかなって思うんだよな……俺も邪魔しないし、だからおまえらもひっそりと生きてほしい。」

「イヤだね、だっておまえらは既得権の上にあぐらかいてるんだもん、なんかズルいよ。俺の家賃払え!」

「……なぁなぁ?」

「いやに今日は訊きたがるな、おまえ……。」

「そんなにストレス抱えて生きて何が楽しいの?」

「おまえな……ストレスもあるけど、楽しいといえば、楽しいわけよ。俺は東京で生まれ変わってるし。リセットした人生の楽しみはある。」

「それって、自分を偽ってない?演じてるってこと?」

「ああ、東京っていう劇団のオーディションを受けた感じだよ。」

「えー!マジで⁉」

「だって、そもそも俺言葉覚えたもん。標準語をさ。現地の人とコミュニケーション取れるように。つまり演じてるんだよ。」

「バイリンガルってことか。」

「俺にとって東京ってのは道だよ、住むところじゃない、たまさかそこにステイしてるだけ。だから本当に劇団みたいなもんだよ、自己実現するためのステージ、言ってみれば土地じゃなくてイデアであり、概念だよ。」

「ごめん、難しくて、わかんねぇや。」

「なんつーかさ、俺は山梨という場所から湧いて出てきた生き物なの、それがそのまま暮らしている場所を〝土地〟と云い、東京はただの〝道〟。剣道とか、柔道とかの『道』だよ。東京道。」

「益々わかんねぇや、あははははははは!」

「じゃ俺も言ってやる。俺も言っててわかんねぇよ!ぶははははは!」

「おっさん、相談がある……東京、出てってくんない?ははははは!」

「言っていい?山口。断る!ぶはははははは!」

朝もやがほどけて、朝日が山間にさしてきた。美しい景色だった。俺はテープを早送りして、

エレクトリック・ライト・オーケストラの「ミスター・ブルー・スカイ」を頭出しし、山口と2人で聴いた。山口は言った。

「おっさん、この選曲、なんか恥ずかしいよ。」



【雌伏三十年】
芸人、ミュージシャン、俳優、コラムニストと八面六臂の活躍をするマキタスポーツが、今度は自伝的小説で作家デビュー! 1988年、山梨から野望を抱いて上京した臼井圭次郎は、紆余曲折の末に仲間とバンドを結成する。しかしなかなか売れず、結局バンドは空中分解。おまけに女性関係や家族との間にもトラブル頻出――八方ふさがりの圭次郎に未来はあるのか⁉ 1980年代から2000年代にかけての懐かしのヒット曲もふんだんに盛り込まれ、ビートたけしはじめとする実在の人物も出てくる、サブカル青春漂流記。



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