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ぶつぶつ言いながら原稿を真っ赤にした業界紙記者の上司から多分見て盗んだポリシー

初めてちゃんと仕事として書いたのは、多分、食品業界新聞社の記者として書いた記事だと思う。

当時、私は100倍とかの競争率から選ばれた2人のうちの1人だったらしく…。実際はもう1人のエースが社内から注目されていて、私は「期待してるんだから頑張れよー」と言われたりしていたけれど、あの頃の自分は何をどう頑張ればいいのか分からなかったのだと思う。

大卒ではなく短大卒の私が入社できた理由は、ホームレスの方々を取材した、というそのルポで、ノンフィクション作家の山際淳司さんから推薦されて(と、担当編集者から聞いた)、出版社のライター新人賞の佳作(大賞なし)をとったことが評価されたらしいとはなんとなく分かっていたけれど、仕事として書くとは?といったことは本当に何も分かっていなかったと思う。

最初は、新商品発売の小さな記事から書き始めて、少しずつ長めの記事を書かせてもらうようになって、一面も書けるようになったけれど(初めての一面記事のタイトルは「猫は舌もドライ」(ペットフードの新しい市場傾向をスクープ?したような記事)。最初の頃は上司に原稿をチェックしてもらって、赤字だらけになった原稿を書き直して。記事とは?も分かってはいないんだけれど自分なりに抵抗してちょっとアレンジしたりして(笑)。「お前はすごくいいんだけど、詰めが甘いんだよなあ」と言われた上司のぼやき声は、のちにも詰めの段階で何度もよみがえるのだけれど(笑)。

記者によって取材のしかたもポリシーも、記事の書き方も全然違うことを知って、私はいつも自分の原稿を真っ赤にするその上司に多分なついていて、そして多くを学んだ。一見優しくないけれど、すごく優しい人。

とにかく朝から会社にいなくて、「管理職なんだから会社にいてくれないと困る」と社内の人から言われてもそんなこと耳に入ってない感じで、いつも担当する企業を1日に何社もまわっていた。私もいつも一緒についていって、上司が各企業の担当者にかける「なんか(おもしろい話)ない?」の声から始まる雑談をとなりで聞いていた。10分から1時間くらいとバラバラな時間を過ごし、とにかく一緒についてまわった。

普段、「記者とはこうあるもの」と言わない分、言ってくれたときの一言はすごくインパクトがあって、多分、行動もともなっていたからずっと自分の中で信じられる言葉として残っていたのだと思う。

例えば、「100あるネタから1を書くつもりでいろ」。そして、その100のネタは自分の足で稼ぐこと。

この言葉は、自分の中で取材するときの基本として今でも心に刻んでいる。「おっ!」と読み進めてもらえる記事をつくるには、本来の記者の仕事をするためには、「なんかない?」とふらっと現れて消えていく、向こうからすると「この忙しいときに」と思うようなことも当たり前にさせて「こういう人だから」と思わせる。「この人だからしかたないか」「ま、この人にならいいか」「この人だから」「この人になら」と、いろいろな人の中で、少しずつ信じられる存在になっていったんだ、と、いつの頃か気づいたように思う。そして、PCに向かっていれば向こうから情報がやってくる今の時代だからこそ、上司のような姿勢で一次情報から各方面まで取りにいくことが大事なんだと思っている。

会社の代表になってからも現場から離れようとしなかった、上司はそんな人だったように思う。今でも、あの人が最初の上司でよかったと思っている。「お前なあ」、「構成が全然なってないんだよ」とぶつぶつ言いながら私の原稿に赤字を入れる上司。あの細くて丸い背中。少しずつ赤字が減っていくのがうれしかったような、寂しかったような複雑だった気がする。

私が会社を退職した後も、年賀状のやりとりを続けて、落ち込んだときには連絡をして励ましてもらい、結婚・出産後は、1歳くらいだった長女に会ってくれたこともあった。

それから何年か経ち、一度だけ、自宅の電話に上司が暮らす地域から着信音があって、上司からなのか、間違い電話だったのかわからないけれど、上司から自宅に電話があるなんてあまりにもめずらしすぎて、こわくて折り返せなかった。あの頃、自分から年賀状を出すことを躊躇してしまったかもしれない。上司からの年賀状もこなくなった。いつも心の中で上司は私にぼやいているから、だから、なぜなのか知ろうとすることができなかった。気づくとあれから10年近く経っていた。

でも、このブログを書いていて、思い立った。やっぱり連絡をしよう。そしてさっき、過去に上司から届いた年賀状を探した。住所に手紙を出してみようか。ふとスマホの連絡先を検索してみたら、上司の名前と電話番号が出てきた。いつのまにか登録していたらしい。まったく気づかなかった。とはいえ、もし番号が変わっていたら…。もし出なかったら…。もし……。

思い切って、勢いで電話をしてみた。そうしたら、7、8回目の着信音で、「もしもし」となつかしい声。ああ、上司だ、と分かりつつも、おそるおそる丁寧に自分の名前を告げた。すると、「元気なのか?」と上司が私にあの頃のように声をかけてくれた。よかった。生きていてくれた…。なんだ、あの電話自体が勘違いだったのか(苦笑)。

上司が生きていてくれて、上司の声を聞きながら話せることが何よりもうれしかった。子どもたちの成長ぶりを話すと、上司は喜んでくれた。「お前、元気だなあ」とも。「むちゃくちゃ元気なんです」と、多分、部下だったあの頃よりも元気に答えたと思う。

上司は何年か前に仕事を引退したけれど、あいかわらず業界の人たちとも交流があって、最近まで、時々、書くこともしていたという。「やっぱり昔からいっぱい動いてたから、今でもお元気なんですね!」と言うと、うれしそうに笑ってくれた。

突然の電話にも、優しく答えてくれた上司。やばい。涙が出てきた。今度、会う約束をした。何年ぶりだろう。初めて書く仕事に就いた頃から、何年たったのだろう。「今も書く仕事をしているんです」と話すと、「おお、そうか」とやっぱりうれしそうに答えてくれた。笑顔が見えるようだった。

早く会いたい。上司は、随分と年齢的にも体格的にも成長した私に気づいてくれるだろうか(笑)。



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