利根川東遷(徳川家康の壮大なまちづくり)
利根川東遷を知っていますか?
教科書に載っていないので知られていませんが、徳川家康が行った江戸のまちづくりに大きく関係している大事業です。
群馬県の最北部の山奥を源流とする利根川はもともと東京湾に流出していましたが、家康は江戸を洪水から守るために、利根川を栗橋(現在の埼玉県久喜市)から東に開削し、千葉から太平洋に流出させることを思いつきます。
これは家康が秀吉の命で関東に移封され、江戸のまちづくりを始める1590年のことです。工事が終了するまでにその後60年以上かかります。もちろん、家康は利根川東遷の完成を見届けることなく亡くなっています。まさに国家100年の計です。
この利根川東遷を長年研究しているのが、私の地元埼玉県久喜市の栗橋地区の土屋獻一郎(けんいちろう)さんです。おととい、久喜の実家に帰省した際に土屋さんが講師を務める「久喜市民大学」で利根川東遷についての講演をはじめて聞きました。
土屋さんは東京生まれ育ち。就職も都内の銀行でした。定年後、奥さんの実家のある栗橋に移り住みます。歴史好きが講じてなんと60歳を過ぎてから大学の史学科に入学されます。その卒論のテーマが「利根川東遷」でした。
土屋さんは「家康の真の目的は治水ではなく、江戸防衛策である」。利根川を江戸城の「大外堀」と見立てて、栗橋を江戸防衛の要にしたという自説を持たれています。実際、栗橋には日光街道で唯一関所が置かれていました。
ちなみに関東3大関所は東海道の箱根、中山道の碓井、日光街道の栗橋と言われていますが、箱根と碓井に比べて、栗橋の知名度は低いように思います。
それもそのはず、平成の大合併で栗橋は久喜市となり、栗橋という名前は住所から消えてしまったのです。地域の歴史が消えていくことに土屋さんは強い危機感を覚えています。
土屋さんは来年栗橋に関所が設置されて400年にあたることから、「栗橋400年祭」を企画され、栗橋を盛り上げようと活動されています。私も久喜市出身者(栗橋と同じく久喜に合併した鷲宮町出身)として、何かお手伝いをしたいと思っています。