太鼓芸能集団「鼓童」(新潟県佐渡市)の地域創生。
以前の職場でお世話になった方から、佐渡を拠点に活動をする太鼓芸能集団 鼓童のコンサートチケットをいただき、先日、神奈川芸術劇場に観覧してきました。
鼓童単独公演ではなく、新潟市民芸術文化会館の専属舞踊団「Noism Company Niigata」とのコラボでした。舞踏は難解で抽象的でしたが・・・身体表現の迫力はありました。どうしたらあんなに早く動けるんだろう・・・。
鼓童は数人が出演され、鼓童らしい心地よい音を聞かせていただきました。
ドンドンドンドン・・・。
日本人の遺伝子の中に刷り込まれているものが呼び起こされていく。そんな感覚。やっぱり太鼓の響きはいいですね。
うれしかったのは、6年前に佐渡のコンサートで見た女性メンバーの方が参加されていたことです。昔の友人に再会したような嬉しさがありましたね。風格がでていました。
実は私、鼓童の動画を制作したことがあるのです。
意外かもしれませんが、鼓童は地域創生に貢献した団体として、6年前に総務省の「ふるさとづくり大賞」をしているのです。ご興味がある方は以下の動画をご覧ください。
私が鼓童に関心を持ったのは、その成り立ちです。なんとあの永六輔(若い人は知らない?)が関わっています。
学生運動の真っ只中の1960年代、永六輔がラジオの深夜放送で「このまま学生たちが政治運動をしても世の中は変わらない。もう一度日本のことを学び直そうじゃないか」と若者を呼びかけたことが全てのきっかけなのです。
呼びかけに賛同した若者が佐渡に集結し、講師としてその場にいた有名な民俗学者の宮本常一が「佐渡で日本海の文化や芸能、職人の技を学べる学校をつくりたい」と提案し、6人が手を上げます。
ただ学校をつくるためには、資金が必要です。そこで「太鼓を使った音楽活動をして稼ごう」となり、1971年鼓童の前身となる団体が誕生します。
資金稼ぎが必要なのはわかりますが、なぜ太鼓なのかは不思議ですよね。職人の技や伝統工芸を復興していくシンボルとして太鼓はふさわしいという理由で選ばれたそうです。
当時のメンバーは基本的に音楽は素人です。それが現在は世界的なミュージシャンとして世界ツアーが組まれるようになるとは・・・人生どう転ぶかわかりません。私が鼓童に興味を持った一番の理由はそこだったりします。
ちなみに、宮本常一が思い描いた学校は、鼓童の研修所という形である程度な実現したのではないかと思います。
鼓童のメンバーになるためには、佐渡にある研修所に入らなくてはなりません。太鼓の練習だけでなく、農作業や地域の伝統的なお祭りに参加することも研修の一部となっています。
佐渡で毎年8月に行われる野外ライブ「アース・セレブレーション」はおすすめします。まさに大地の響きを感じることができますよ。