魂が決めてきたシナリオと設定はクエストゲームを超えていく✨✨✨✨✨✨✨✨
ルウカの好中球の値は、2月には
正常になり、血液検査も必要なくなって日常が戻ってきた。
私の体中に広がっていた緊張感は
ゆるりとほぐれて、久しぶりにしっかりと空気が肺に入ってくるようだった。
1月6日のお誕生日を入院中の病院で過ごした為、少しおくれた2歳のバースデーを、ちょうどParisから来日していた大好きな友達達と祝ったり、幸せな時間が続いた。
血液の値などは、通常は目には見えず、検査の結果で数値がでたとき、それが一般的な平均値から外れていたりすると、その数字に不安になる。ネットで調べようものなら、その不安は益々増長され、気分は重病人となり、マインドは、その原因や治療法を探し出す為に走りだす。
でも、私達はホメオパシーを取り入れた生活をしていた為、薬の上に薬を乗っけて行くような対処法は選ばず、退院してからも、血液検査の度に、再三骨髄検査を勧めてくるその病院を変える事にした。
そして、ホメオパシーでの毒出しを続け、1ケ月後の血液検査で、晴れて好中球の数値が元にもどった時、良好になった血液検査の紙を持って、その病院を再び訪れた。
なぜか。それは、骨髄検査を勧めてくれていた担当医に、ルウカの好中球の数値が正常に戻った事、白血病ではなかった事をちゃんと報告したかったからだ。
訪れた事に、かなりびっくりされたけど、その紙を覗き込み、ホッとした表情を魅せて、喜んでくれた。その顔を見て、ほんの少しでも彼のトラウマのストーリーが、今までのものと書き変わるといいなと思った。
人やペットの生き死にに、なにびとも介入する事はできず、誰のせいでも、当事者のせいでもなく、その魂が決めてきた"体験したい事"、その設定に基づいた体験や、生き方、死に方、寿命がある。
どの体験も貴重であり、一つとして同じものはなく、それに対する個人的な感想も、解釈も、たとえ同じ言葉を使っていても、それぞれの宇宙の言語であり、背景が違えば、その意味は異なったりする。
それらをわかった上で、解釈や、考察や、感想や、想いを共有しあう事で、その先を決める大切な選択を、自ずと人任せにはできないようになっている。そして、命を使って使命を生きる時、その中でしていく選択の折々では、迷っていられるほどの暇はないくらい、次々に、事が展開していく。
命に関わる体験をする時、その神秘の体験は、スピリチュアルレベルを上げる為にある、とも言える程に、意識レベルが変容し、全ての景色が一変する。その体験を何に使うかはそれぞれに任されており、そうでなくても、それはそれで、全く問題はない。
だけど、今までもそうだったように、その渦中ではわからない事が多いが、必ずと言って良いほどに、意識が広がり、新たな視点と、思いもよらない神秘的な着地点を得ていた。
そして、又、今までにない強烈な体験のその日が、刻一刻と近づいてこようとしていた。
3月のある日、ルウカをベビーカーに乗せて、友達と原宿のクリスタルショップに来ていた。綺麗な勾玉のクリスタルを見ている時、一本の電話が入った。
「もしもし、、、、。」
「、、、、、。」
「ん?、、、どうしたの?」
「僕、。」
「うん、わかるよ。
どうした?なんかあった?」
「◯◯が、、、
◯◯が、、、、。。。」
「え???
どうしたの?
今どこ? 警察?
なんで???」
「これから、家にもどるから
手が空いたら、家にきて、、、」
「わかった。
すぐいく、、、
待って、て、、、。」
大親友のパートナーからだった。
その辺りの電話のやりとりや記憶は
あまりない。とにかく慌ててベビーカーで寝ていたルウカを、一緒にいた友達と主人のサロンまでタクシーで連れて行き、主人と友達に託して、連絡をくれた友人の家に向かった。
そこには、すでに大親友のお母さんと、そのパートナー、連絡をくれた友人ともう一人の友、計4人がいた。
「どうしたの?
何があったの???」
「◯◯が、亡くなりました。」
「、、、、、、、、。」
電話口の雰囲気から、なんとなく、なんとなく、そうではないか、という疑念が頭をよぎっていたけれど、必死でかき消しながら、まだ、言葉ではっきりと聞いていない、一抹の願いがあった。
だけど、はっきりとそれを聞いて、
現実にそれが起こっているとわかると、声にならない嗚咽で、息ができなくなった。泣き叫ぶ事もできないくらいに、息ができない。ショックなんてものではない。
その間、すでに着々とお通夜、葬儀についての話が進んでいる。全く話についていけない。外音が聞こえないクリアーなカプセルに閉じ込められて、外側とシャットアウトされ、いるけど、いない、透明人間になったような感覚を覚えた。
ルウカの好中球の値が正常にもどり、束の間の安らぎの時間は、あっという間に終わり、次のチャプターが始まった。
葬儀は家族のみでやりたい、
というお母さまの意向だったけど、
極々親しい友人が、出席したいと申し出た。そして、私が、大親友の
死化粧をするように、頼まれたのだ。
そんな事できるの
あなたしかいないでしょ。
泣かずにできるだろうか、、、
いや、全くできる気配はない。
魂の抜け殻になっているのは
私もだ。。。
ファンデーションは、何、、、
手は思うように動くだろうか。。。こんな場面がくるなんて、、、
聞いてないよ、、、
その場では、上手く呼吸ができなくて、思いっきり泣けなかったけど、サロンに戻って主人の顔をみたら、グシャグシャの顔で、二人で抱き合って泣いた。次から次へと涙が溢れて、干からびそうだ。だけど、永遠に流れる涙を止めることができない。
いったい、何があったのか。。
どう解釈すれば良いのか。
自分の非力を叩きつけられた。
そうだ。。。
人やペットの生き死にに、なにびとも介入することはできず、誰のせいでも、当事者のせいてもなく、魂がきめてきた"体験したい事"、設定に基づいて、その体験や生き方、死に方、寿命がある。。。。。だ。
もちろん、これが正解となる領域は、すべてではなく、ひとつのある領域の視点にすぎない。
そして、あまりに近しい人や、最愛の人がその対象の場合、すぐにその領域から、そのようにその事象を見る事は困難だ。どのように解釈するのか、なんて事も思い浮かばず、解釈できたとて、それもなんの役にも立たたない。張り裂けそうな感情の方が優位になり、客観的に見ることなど不可能だった。
なぜ
なぜ
なぜ、、、
が、やってくる。
そして、どのように解釈するか、なんて事はぶっ飛んで、死に対する大前提の概念を、全て根っこから、変えなければならなくなっていた。
家に着いて、ルウカを寝かせて
死化粧の為の用意をしはじめるも
涙で前がみえない。
でも、ラメはいらない事はわかる。
いや、もしかしたら、そんなノリのほうが嬉しいだろうか、、、
ラメ、好きだったよね、、、
やっと必要だと思えるメイク道具をコンパクトにまとめて、ひとつだけ大好きだったゴールドのラメもいれて(いる?)、泣きながら深夜眠りについた。
次の日、まだまだ溢れでる涙をふきながら、お葬式の死化粧をする為に、ルウカをベビーカーに乗っけて、メイク道具を持って、家をでた。
ベビーカーに乗ってすぐにルウカは寝てしまった。なるべく、起こさないようにタクシーは諦めて、渋谷行きのバスに乗った。
そして、5分ほど走り、渋谷のセルリアンタワーが見えてきたあたりで
それが、きた。
初めは少しバスがゆれてる?
くらいだったのが、そのうちビヨンビヨンと改造車のように、大きなバスがホッピングするように、飛び跳ね始めたのだ!
え、え、え、、、
なんか、変、、、、
そして、バスの窓から外を見ると、セルリアンタワーの一番上の先端がグルングルンと円を描いて、右へ左へ前に後に、揺れ動いてる!バスは止まり、中の人はみんな飛び降りて、そのうち街中から悲鳴が聞こえてきた。
え、、、地震?
うそ、、、、、
そう、311東日本大震災だった!
大変!!!
ルウカ!!!!!
ルウカの顔を見て、びっくりした。
外側で起きてる事には、我関せずとばかりに、全く何事もないかのように、すやすやとガン寝したまま、起きる気配がない。
「よし、大丈夫!このまま
パパのいるサロンまで
行こう!」
まだ動いていた、近くまで行くバスに乗って、主人のサロンに向かった。その途中、2007年にもらった、チャネラーJ のあるメッセージが頭をよぎった。
J 「2011年から、2012年にかけて
北半球において、6分間にわたる
地震が起こり、地球に混乱がおと
ずれて、完全に今までの地球では
なくなるわ。だから、Maki、受
とったメッセージは、全て記録
しておくように。この5年以内に
起こってくる変化に関連してくる
だろう。この2、3年でメッセー
ジは強くなる。
Maki、かなりシリアスよ」
大親友が亡くなり、死化粧をする、というだけでも、精一杯の上に、2歳になったばかりのルウカを連れて、被災するという強烈なシナリオに、マインドもハートも、肉体もギリギリだった。
そして結局、主人のサロンまではいけたものの、その後すぐに電車もバスも止まり、道は大渋滞で車は動かず、なんと、葬儀の会場まで行き着く事ができなかったのだ。結果、死化粧は、妹さんがする事になった。
ラメが駄目だったのかしら?
いや、私に死顔みせたくなかっ
たのよね、きっと、、、
だから私は彼の死顔をみていない。
綺麗なままの、美しいままの彼が私の中で生きている。そして、肉体があろうがなかろうが、私達に与える影響は今も衰える事はなく、非物質存在となった今も、愛してやまない大切な友だ。
だから、私達は、それぞれに彼への
想いや、彼の残してくれたストーリーを語り合う為に、毎年、命日ではなく彼の誕生日に集まって、誕生日パーティーを開いている。自分の人生を懸命に生きながら、ほっこり語り合えるそんな場を残してくれた、どこまでもドラマティックな彼に、心からの感謝しかない。
どんな風にみんながその想いを昇華させていったのか、死、についての見解、死に対する大前提が根っこから大変容していった事など、まだまだ、書き記せていない。
それはまた、2018年に宇宙勤務となった父が、更にわかりやすく、教えてくれた。それもじっくりと書き記したい。
そして、311東日本大震災のその後に起こる福島原発爆発事故から、避難した避難先のオーストラリア🇦🇺で起こった、枠が外れるありえない体験(全てはあり得るが、あえてそう言いたい、笑)が更に続いて、地球丸ごとの大変容期に突入していく。
つづく。。。