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大人の社会見学:2.5次元歌い手グループ【いれいす】武道館ライブビューイング

社会見学に行ってきた

〇〇億円の取引について検討した1時間後に、イカのゲソの天ぷら398円を万引きしたおじいさんのためにスーパーに謝罪に行く。
それが弁護士の仕事である。

弁護士の仕事は幅広い。
分野を絞る方が「売れる」とよく言われるが、この幅こそが魅力的でもあると思う。

いろんな人に出会うので、自分の人生が、自分一人分以上の濃さがあるような感覚になることもある。弁護士になって16年以上経つと、引き出しも増えてきた。

けれど、まだ会ったことのない、見たことのない世界がある。
それが、2.5次元の世界…

誘われたら、だいたい行く。
引き出しは多ければ多いほどよい。

わずか3年ちょっとで、武道館にたどり着いた2.5次元歌い手グループのライブビューイングがあるらしい。
さすがに、「武道館に行こう」と言われたら断ろうと思ったが、名古屋駅前映画館である。

そんなわけで、社会見学に行ってきた。

いれいす武道館@ライブビューイング

2.5次元アイドルとは

まずは定義から確認。

・2.5次元とは…
「2次元と3次元の中間」を意味し、「3次元(立体)のように見える2次元グラフィック」や「マンガ・アニメ等の登場人物(2次元キャラ)を再現した立体(3次元)」などを指す意味で用いられる表現。
出典:辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

2.5次元とは、イラスト・アニメ風2次元の世界と実際の人間・実写による3次元の世界の、何らかの狭間を指す単語である。2.5次元とは、2次元的なイメージの3次元への投影か、またはイメージ自体の錯覚的・部分的な3次元化に適用される。
出典:ニコニコ大百科 - あらゆる言葉を解説する辞典・辞書サイト (nicovideo.jp)

誤解を恐れずにいうと、日常YoutubeやSNSで接するのは、イラストやアニメである。しかし、舞台やステージに行くと実物の素顔に会える。
それが「2.5次元」ということのようである。

最初に聞いた印象としては、声優さん(アニメがあり声をあてる)の逆バージョン?(先に人物像があり➡キャラクター化される)という感じである。

次に疑問なのは、歌い手とはなんぞ?ということである。
定義を確認…「歌い手とは、歌を歌う人」そりゃそうだろうけど…

歌い手とは…

特にインターネットスラングとしての「歌い手」は、動画共有サイトに自身が歌っている様を動画に撮って投稿したり、インターネット上で生中継したりする人を意味する。(略)
歌い手は他のアーティストの楽曲をカバーするのが一般的である。歌い手が投稿する動画には「歌ってみた」というタグが付けられ、動画のタイトルにも「歌ってみた」が含まれることが多い。一部の歌い手には多数のファンが存在し、歌い手からアーティストとしてCDデビューする例も少なからず見られる。
出典:辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

なるほど、インターネット上で特に活躍しているカバー曲を主に歌う人をいうようだ。
40代以上、ついてきてますか…

いれいすとは

次に、社会見学の対象である「いれいす」である。
「いれいす」はイレギュラーダイスの略であり、ダイス=サイコロのこと。6人組の男性グループである。

一部上場企業のマーケティング部で働いていたリーダーないこ氏が、きちんと売れていく歌い手グループを作ることを掲げて多様なメンバーを集め、現在会社を作って社長もやっているという経緯が、興味をひくポイントの一つである。

メンバーは会社員を続けながらの人もいれば大学生もいる。バンド活動10年選手で花開いた人もいるそうだ。苦節〇年(人によっては十何年)が通常だった司法試験を受けてきた者としてはシンパシーを感じる。

ファン層は、10代から20代の若年層で、小学生にも人気らしい。
確かに、映画館には、小学生と保護者や、中学生と保護者と見える組み合わせがたくさんいた。

私が直前に、ライブビューイング会場で仕入れた『いれいす新聞(特別号)』によると、武道館ライブは、素人6人で掲げた実現するとは到底言えない「夢」で、それをリスナーの人が応援し続け、実現に至ったという夢舞台らしい。しかも、かなり早く実現した(3年強)。

色々疎い私でも、これが偉業であるとは分かる。
素人は3年で武道館にはいけない。
『いれいす新聞(特別号)』を読んだだけで、にわかファンのような状態になってくる。

こういう感じで「沼っていく」のだろうか(初めて使ってみました)。

しかし、アニメキャラクターを見て応援しているファンたちは、実物を見てがっかりしないのだろうか。それほどまでに自信が?!
美化されたアニメ以上の実物は存在するのか。
どんな世界観なんだろう。
何を求めて小中学生は応援しているのか。
なぜ親はお金を払ってそれを許容しているのか。

「不安な時代」の真ん中にいる彼ら

3時間続く、ライブを見ながら、売れる理由、支持される理由を考えていた。

貴重な経験だったので、「2.5次元」、「歌い手」というカテゴリーを眉をひそめて見ている人に向け、シェアしてみようと思う。知らない世界は不気味で怖いが、知ると少し面白い。

「連れていかれたライブビューイング」から気付いたことはたくさんあった。

①不安な時代の伴走型王子様

我々世代のアイドルは、「完璧」であることが前提となっていたが、彼らは積極的に「不安」を口にする。自信満々な感じは全くない。

「先が見えなかった」、「選択が正しいか分からなかった」、「迷った」、「やめようと思ったこともある」、「苦しかった」

「俺について来い」とは言わず、「一緒に来てくれてありがとう」、「武道館に連れてきてくれてありがとう」と言う。

私はセミナーでVUCAの時代(変動性・不確実性・複雑性・不透明性が高い時代)について言及することがあるが、まさにその時代の空気感をヒシヒシと感じる。

『伴走型王子様』とでもいうべきか。

「そのままでいいんだよ。」とファンに伝え、「こんなボクだけどよろしくね」、「一緒に成長しよう」という関係性。

不完全だからこそアイドルは魅力的である、という話があるが、不完全どころか、一般人と同じ立ち位置からのスタートである(ただし、入りが二次元なのがポイントではある)。

双方向に伴走型なのだと感じた。

②誰にも語るべき「ストーリー」がある

私は、若手経営者の会にメンターとして参加しているが、度々語られるのが「ストーリー」の重要性である。

「よい物」というだけではもう売れない。
そこに至るストーリーが大切である。
なぜその事業をしているのか。WHYを情熱をもって語れない事業は先細りである。

「いれいす」のメンバーの「ストーリー」もライブの中に積極的に散りばめられていた。

コロナ禍で学校行事がなくなった。仕事がオンラインになった。
好きなことに没頭した。
メンバーに出会った。
リスナーに出会った。

共通の「時代の記憶」をベースに、それぞれの頑張ってきた日常が語られる。

強調されるのは、努力し続けることと、夢に向かうこと、メンバーや関係者、リスナーとの信頼関係である。

メンバーのストーリーを聞き、共感しながら、若者たちはまだナニモノでもない自分たちのストーリーに思いをはせているのではないかと思われた。

③驚くほど<常識的>なメンバー

外見について私がとやかく批評すべきではないので、楽しみにライブに行っていただければと思うが、全員からにじみ出るのはとにかく「優しいお兄さん」感。

「歌のお兄さん」と紹介されたら、全員そうなんだと納得してしまいそう(髪色でNGがでるかもしれないけれど)。

カリスマ部分はアニメキャラクターが担い、中身は「常識力」が大切なのか?

コンプライアンスが厳しくなってテレビがつまらなくなったとテレビの中の人が嘆いているが、時代が求めているのはむしろ「常識的」であったり、「優しさ」なのではないかと考えさせられる。

びっくりするほどずっとメンバーのだれかが「ありがとう」と言っている。
それに対して、ずっとファンが「ありがとう」と返している。
ありがとうの応酬である。

関係者やファンの応援なしには武道館に来れなかったということは分かるが、それにしても、多い。

優しさを求める時代の空気をここでも感じた。

④誰がお金を出すか知っている

20代はともかく、10代の推し活はお小遣いとお年玉勝負である。
なけなしのお金で買った缶バッチに「推し」が出ず、ウロウロしながら交換している。大人のように20個も30個も買ったりはしない。微笑ましい。

世の中に子ども向けの高額商品はたくさんある。
親は当たり前のように「しれっと」高額商品を購入させられている。

「いれいす」は違う。
お金を出すのが誰なのか、しっかり見据えている。
そして、いい加減に放っておかない。

「保護者の皆様!!」とライブ中にも呼びかけ、感謝の言葉を述べる。
ライブ前に読んだ『いれいす新聞』にも「保護者の皆様」欄があった。

別に言わなくてよいことな気もする。
子どもをターゲットにする商売なんて、たくさんあるのだから。

けれど、「2.5次元歌い手」という謎カテゴリーへ理解を得るのは、少なくとも30代後半からは厳しいのだろう。

親もまるごと応援してもらわなければ成り立たないと認識している潔さと、小中学生に悪影響は与えない、親も一緒に応援できるコンテンツ、メッセージがここにあるという自負を感じる。

隣の親子は、二人とも大きくペンライトを振っていた。メンバーごとにテーマカラーがあるようだったが、ライトの切り替えもばっちりである。

入口付近に立っていたお父さんは、「推し」について懸命に語る娘を苦笑しながら微笑ましそうに見つめていた。

社会見学を終えて

控えめに言って楽しかった。
推しがいなくとも、「連れて来られた人」でも面白く、興味深く3時間を過ごした(「連れて来られた人」に言及していたところも、かゆいところに手が届きすぎていて末恐ろしい)。

若者が目を輝かせたり、はっと息を止める気配を感じたり、号泣していたり…そんな場に同席するという体験はまず日常で起こり得ず、この時代の真ん中に混ぜてもらえたようで、なんだかうれしかった。

ただ、あれだけ「約束を実現した!」「夢を叶えた!」「ありがとう!」を連呼しているのを見ると、彼らが燃え尽きてしまわないか、勝手に少し心配である。

若いからってがんばりすぎると続かない。「温泉にでも行ってゆっくり休憩すべき」と年長者から助言を添え(最近の若者は果たして温泉に行くのだろうか?)、社会見学の感想としたいと思います。

…と朝書いて、明日投稿しようかなと思っていたら、活動休止とは!!!(今知る…)

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