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そこに愛はあるんか?

昨日、学校から戻ってきた娘が私に聞いてきた。

「ママは、どう思う? 言った方がいいと思う?」

娘の質問の仕方はいつもこうだ。主語が述語が足らない。言葉足らずで毎回、それじゃわけわからんと注意している。

それはさておき。

話はこうだ。

学校で算数の小テストがあった。自分の席から見えるクラスメイトがカンニングをしているのを娘は見てしまった。 それを先生に言った方がいいかどうか、どう思うか?という事だった。学校で先生に言うか迷ったが、まず私たちの意見を聞いてみようと思った、と言う。

咄嗟に私が出した返答は、

『言う必要ないんじゃない?』

友達が小テストでカンニングをしていた事を先生に告げ口したとして、何か良いことあるかいな? とうに40を過ぎた私にすれば、算数の小テストくらいで物事を大ごとにする必要ないじゃないかって思ってしまうのだが、でもまぁ12歳の娘にとっては、この出来事は大ごとなのかもしれないな、と出した返答の先の言葉を考える。

昼食のテーブルを囲んで夫も話に加わっている。学校からの帰り道でこの話を聞かされた父親も、先生に言う必要はないと言ったという。そこは同じ意見だ。

こう娘に言ってみた。

「例えば、その子はこの小テストで悪い点を取ってしまったら、家に帰って物凄く親に怒られてしまうのかもしれない。それが怖くてカンニングしたとしたら? カンニングしてしまった裏側には何か大きな理由があったのかもしれない、それは誰にもわからない。」

娘は話を付け足した。

「私、その子と目があったんだよ。そしたら、その子はこんな顔をしたんだよ。」と苦笑いのような罰の悪そうな顔をして見せた。

「そしたら、なおさらだ。今その子は、あなたが先生に告げ口したらどうしようと思って家でビクビクしているかもしれない。やっぱり、カンニングなんてしなければ良かった、と後悔しているかもしれない。

言うなら、先生に告げ口することより本人に直接言ってあげるべきなんじゃない?。


今度やるときは、もっと上手くやりなよ。ってね(ドヤ顔)。」


最後の一言は言う必要なかったか、とすぐ後悔したがつい出てしまったので『ま、それは冗談だけど』と付け足した。

そこで夫が口を挟んできた。

「自分がそれを先生に告げようと思う理由はなんだ。」と。

それを告げ口したことで、自分が正義だと良い気分に浸りたいからなんじゃないかと。

自分がそうしようと思った理由を自分の心に聞く必要があると。本当にその子のこと思っての行動なのか、どうなのか。

(そこに愛はあるんか?)

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とは言わなかったが、私にはそう聞こえた気がした。

夫も同じように伝えるなら先生ではなく、本人にではないかと言っていた。見て見ぬふりをすることもできるだろうし、何かしら伝えることもできるだろう。それは本人に任せるとしよう。


こんな会話の中で思い出した自分の経験。

10年以上前、勤めていた幼稚園での話。

その幼稚園ではオープンスクールという行事を未就園児を対象に開き、保護者と一緒に幼稚園を訪れてもらって、様々な体験をしてもらう。いわゆる幼稚園経営の園児獲得のための行事だ。

私はある年の、その行事の担当だった。

一通りの体験遊びを終えた子どもたちと保護者にホールに集まってもらい、人形を使って寸劇を披露した。声を張り上げ表情豊かに演じたと思う。

子どもたちや保護者の寸劇に対する反応は上々で私は手応えを感じて、この行事のために自分で台本を書き、サポートしてくれるもう一人の教諭と練習を重ねてきた甲斐もあったと気分は高揚していた。

ほっとしていたところへ一人の同僚が近づいてきた。


「お疲れ様〜!良かったよ〜!」

「ありがとう!」と私が答えた後に彼女が続けて言ったのは

「でもさ、お母さんたちが『園児増やしたいからって必死だよね〜』って言ってるの聞こえて来ちゃってさ〜。」


私は一気に高揚感が引いていくのを感じ、そして悲しくなってしまった。その同僚に対してである。

(それ言う〜〜??)


お母さんたちの会話はいい(よくないけどww)それが私の様子を見て受け取った感想なんだろう。

いや、でもそれ、私に言わなくてもいいや〜ん?。

聞こえてきたとしても、お疲れ様、だけでいいや〜ん?と。


娘の話とはまた全然違う出来事だが、ふと思い出した出来事だったので。


インターネットで匿名で言葉を世界中に発信できる昨今。言葉の力で人は勇気付けられもすれば、一つの過ちを多くの人に咎められ命を落とす人もいる。


発する側は自分を正義だと思っている場合が大半だろう。自分だってそうだと思う。でもそれはほんとにそうなのかな、と一旦立ち止まって見る。


娘の思う正義が、自分が発する言葉や行動が、どこからやってきたものなのか自分の心に聞いて発信してほしいなと。自分の世界を温かいものにしていってほしいなと願うのである。














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