続「制服」を変えて残る問題
前回、学校の制服に関する問題についてお話しました。
とりあえず、制服に関する課題は、髪型等の校則に影響を及ぼすことなく、地域ぐるみの取り組みによって変えることができる提案もしました。
それが成功すれば、そこは「聖域」になるでしょう。
せいぜい中学校までは、です。
高校生ともなると、一つの学校に通学する生徒は、広範囲から集まります。
中学までは傷つくことなく、自由を享受できていた性的少数者は、ここでまた「苦しんだ過去」に引き戻されることになります。
この制度を持続可能なものにするためには、「地域ぐるみ」から「自治体を越えて」実施される必要があります。最低限でも都道府県単位で実施されなければ、彼らはこれに慣れない隣接地域の目によって地獄に突き落とされることになります。
更に、社会人ともなると、もう制度に甘んじることは不可能になります。
企業は、「ジェンダーロール」に大変固執します。当然、「男子社員らしさ、女子社員らしさ」という主観(バイアス)で、彼らは望まない再教育(再訓練)を強いられることになります。
なぜなら、組織は人をカテゴライズし、自由や個性を制限した方が管理しやすいからです。枠からはみ出た者は、「不要人材」として相応に処遇されることになります。
たとえ許されたとしても、ジェンダーロールを越えることを望む者は、「性同一性障害者」として証明を求められ、さらにカミングアウトするという苦痛を強制されます。
それに加えて、真逆の性別の「らしさ」を強烈に求められることとなります。
「みんな違って、みんな良い」
口で言うのは簡単です。でも、それは結局、多数派の目線による他人事でしかありません。
もし自分が当事者なら?
そんなこと思いもつきませんよね。
もし家族が当事者なら?
「長い物には巻かれろ」と言いますか?
誰が、何を着てもいいんだ。自分らしく生きておかしくないんだ。
それは「普通」の社会ですか?