お楽しみ会
『今日から俺は!』の脚本及び演出家でもある、福田雄一さんのウィキペディアに小学校の頃、学期末に行われる「お楽しみ会」で毎回台本を書いていた、という部分がある。私はこれを読むと思い出す。
小学一年生の秋に父親の仕事の都合で、栃木県足利市に転校したことがあった。森高千里の「渡瀬川」に出てくる、あの街だ。
当時はまだ森高千里の歌は出来ていなかったけれど、私が住むマンションのすぐ横に渡良瀬川が流れていて、夕暮れ時は土手一面が茜色に染まり、とても綺麗だった。そこで私は日が暮れるまで、草ぞりをやったり、探検ごっこをしたり、父と自転車の練習をしたりした。夏は大きな花火大会があって、冬には土手に積もった雪で遊んだ。夜になると川の向かいにある、織姫神社のライトアップが川面に映って、きらきらしていた。
そういえば「オスマン・サンコン来たる!」という謎のイベントが土手であって、サンコンさんに質問したり、一緒に写真を撮ってもらったりもした。結局、何のイベントだったのか未だにわからないが、実家の居間にはサンコンさんを中央に私と弟が、硬い表情で並んでいる大きな写真が今も飾ってある。私が初めて会った芸能人だ(笑)
話は冒頭の「お楽しみ会」に戻る。
私が小学校二年生の時にクラスで「お楽しみ会」があり、転校前の学校ではなかったので楽しみだった。班ごとになって、出し物を決めようということになった。歌や合奏なんかにしているグループもいた。
私たちのグループは、劇に決まった。
劇の内容はオリジナルにしようということで、ある程度の配役を自由帳に書いて、その日は終わった。
友達との帰り道。劇の内容について話しながら歩いていて、改めて自由帳を見てみようということになって、歩道横の縁石の上でノートを広げた。配役はK君というクラスでも面白い子だった。その子を主役にヒーロー物みたいな話にしようということだった。
友達と話しているとなんだか楽しくなって、配役が書かれた次のページに「こんな話はどうかな?」といって、ふざけてどんどん書いていった。そしたら「それでいいんじゃない!」というので、あっさり決まってしまった。翌日、班のみんなにも好評で嬉しかった。
あの時は全くわかっていなかったのだが、初めて書いた台本は縁石の上だった(笑)
翌年の「お楽しみ会」も私が台本を書いた。自分にも役があったけれど、台本を考えることで、精一杯。台詞も言いたくなかったので、登場してすぐ眠ってしまう役にしてしまった(笑)
ただその年に転校・・というか前の学校に戻ることになったので、「お楽しみ会」が出来なくなったのはとても残念だった。
福田雄一さんのウィキペディアにも「お楽しみ会」の楽しかった思い出が忘れられず・・・とあったけど、まさにそれで私が今、SNSでやってるスペースなんかも「お楽しみ会」の楽しかった思い出が忘れられないんだろうなと思う。